滝のように降り続く雨の中。
今日はちょっと冷えるな。
梅雨……梅雨まだ明けてないんだっけ?
もう暫くニュースどころかテレビも見てない。
はば学の教会。
大好きな人との思い出の場所。
わたしはその両開きのドアの前に。
降られるなんて思わなかったな。
びしょびしょになっちゃった。
雨宿り……軒下あんな高いから意味、ないかな。
でも。
なんだか。
帰りたくない。
教会のドアにもたれかかり。
雨に打たれながら。
ドア越しのステンドグラスを思い出していた。
「珪くん……」
何回目だろう。
バカみたいに愛しい人の名前を呟く。
目を瞑って。
卒業式。
この教会で永遠の愛を約束した。
そんな彼が鮮明に思い出される。
優しい瞳。
笑った顔。
子供の頃の彼と変わりなくて。
本当に嬉しくて。
好きな人に告白されて、幸せで。
本当に、本当に幸せだったんだ。
わたしバカだから。
いつまでも。
手を繋いでいけるって。
そう、思ってたんだ。
ぎゅ、と。
胸元を握った。
気づくと。
一匹の猫が足元に絡みついていた。
「あ、“夏野”!」
“夏野”と名づけられたその猫。
珪くんもわたしもお気に入りのコで。
甘ったるい声で擦り寄ってきた。
「久しぶりだねぇ……元気だった?」
わたしは“夏野”を抱き、太腿の上に乗せた。
「おまえ、大きくなったね……ごめんね、あんまり来れなくなっちゃって……」
「にゃあ〜」
「おまえもおまえの兄弟もお母さんも珪くんが好きなんだよね? わたしもね、大好きなんだよ…………でも、どうしよう……わたしこの間ねすごく珪くん傷つけちゃったんだ……“夏野”は怒る?」
“夏野”は顎の下を撫でられ。
目を細め、気持ち良さそうにゴロゴロ言っている。
「すごく、珪くん怒っちゃった。 もう許してもらえないんだ……だから、わたしたち、終わっちゃったけど……わたしだけは好きでいていいかな?」
わたしは続ける。
“夏野”を抱く。
「珪くんに迷惑かけないようにするには、応援してあげることだよね?
直接は逢えないけど……雑誌見たら珪くんに逢えるし……ファンでいていいよね? それくらいなら許してくれるかな……? すごいデザイナーにもなってもらいたいし……もし売り出されたらわたし指輪もネックレスも買うんだよ。
そうしたら珪くん、幸せになってくれるかな……? 珪くんなら、うまくいくよね?」
将来を想像し。
目を閉じた。
幸せそうな珪くん。
わたしは。
その時はわたしはどうなっているんだろうか。
突然。
“夏野”がぴくっとし。
わたしの腕から飛び降り、まっすぐ走り出した。
「あ、“夏野”! 雨の中……」
その瞬間。
わたしの瞳に。
男の人が映し出されてた。
この雨の中でも絵になるようなすらりとした長身。
褐色のくせのある髪がとれかかってるけど。
わたしの好きな翡翠の瞳。
手には閉じたままの傘を持っている。
彼は足元でじゃれ付く“夏野”を腕に抱き。
周りを見渡して、家族を見つけ。
その元に連れていき2、3回撫でてやって。
わたしの元に来た。
わたしのよく知っている人。
わたしのとても愛しい人。
夢にまで見た人。
逢いたくて。
逢いたくてたまらなかった人。
じっと。
わたしを見てる。
前髪から滴り落ちる滴。
その向こうの瞳。
表情。
怖かった。
怒られるかもしれないと。
わたしは慌てて。
その場から走り去ろうとした。
が。
「きゃっ!?」
雨のせいで地面がぬかるんでいて途中、派手に顔から転んだ。
下が芝生だったから、良かったけど。
な、情けない……。
情けなさすぎる。
「あいたた……」
そんなわたしの腕をとり。
珪くんは自分の方へ向けた。
「け……珪くん……」
珪くんはわたしの顔に傷があるかどうかを見てくれたようで。
わたしを立たせて。
腕を掴んだまま開いた傘を無言で差し出した。
「え…………あの……でも」
迷っているわたしに苛立ちを感じたようで。
無理矢理わたしに傘を持たせ。
右手をわたしの背中から右脇を抱き、膝の後ろに左手をやり力を入れた。
わたしが。
持ち上がる。
珪くんはそのままわたしを抱いて。
黙々と歩き出した。
「けっ……!!」
“お姫様抱っこ”に恥ずかしく思い。
何度も何度も、下ろしてくれと懇願した。
でも彼の頑なな態度。
仕方なく諦めた。
わたしは恐る恐る珪くんの端正な横顔を見る。
珪くんは前を見据えわたしを見ない。
一言も発することはなかった。
怒って……るんだろうな。
久しぶりだった。
珪くんの匂い。
背中と膝裏に感じる手の温もり。
これが本当の最後だと。
わたしは目を閉じ感じとっていた。
見慣れた街並み。
坂の多い道路。
珪くんの家に着く。
「……ちょっと待ってろ」
家に入るなり手際よくお風呂を沸かしてタオルと珪くんの服を持って、再び玄関で待つわたしの前に姿を現す。
持ってきたタオルで。
乱暴にわたしの髪の毛を拭いてくれて。
「……傘はどうした?」
ぶっきらぼうに。
わたしに聞いた。
「あの……途中で雨が降っちゃって……珪くんもびしょびしょじゃない……持っててささなかったの?」
「……俺はいいんだよ」
「良くないよ……風邪ひいちゃう……」
「……服脱げ」
「え……?」
「洗うから……服脱げ」
「あ、あのね……わたし、帰るよ……」
小さく舌打ちをした珪くんは。
僅かにわたしを睨み。
「……早くしろ」
珪くんはそう言い放ち。
リビングに行ってしまった。
どうしよう。
珪くん、本当に怒ってる……。
でもこのまま帰っても追いかけてきて、もっと怒られる気がする。
仕方なく。
シャツのボタンを外し。
置いてある珪くんの服に腕を通した。
着替えて自分の服を持ってリビングへ向かうと。
もう着替えていた珪くんはわたしの手から服を取る。
もうあがることがないと思っていた珪くんの家。
変わらず、静かで。
いい匂いがする。
下を向き。
長い袖から先端しか出ていない指を弄っていた。
帰りたい。
胸が、押し潰されそう。
脱衣所から戻る珪くん。
「……風呂、入れ」
「でも……」
「いいから……早く入れよ」
口調が相変わらず和らいでなく。
わたしは従うしかなかった。
わたしがバスルームへ入っていくのを確認した後。
ソファに座った珪くんは大きな溜息をついて。
両膝に肘を乗せて前屈みになり。
「くそ……っ」
組んだ手を額に当て。
眉間に皺を寄せ、そう呟いたのを。
わたしは知らなかった。
脱衣所にある鏡。
わたしは久しぶりに。
自分の身体を見た。
ちょっと。
痩せた、かな……。
でも。
丁度良かった。
もう少し痩せてもいいかもしれない。
最近、太っちゃってたから。
そしたら綺麗になるかな。
いつかきっと好きな人が出来る。
その人に。
喜んでもらえるかな。
それにしても。
胸も、ないなぁ。
わたしは苦笑した。
これじゃ。
珪くんにだって抱かれる筈ないね。
ガッカリしただろうな、最初の時。
だから一度きりだったんだ。
わたしは。
バスルームに入り。
温かいシャワーを。
目を閉じて。
浴びた――。
「signal ―scene 7 冷雨の再会」 |
20170211 |