ピンポーンー……。
日曜日。
家のインターホンが鳴る。
今日は。
誰もいなかったっけ。
2階から降りてわたしが迎えた。
ドアを開けると。
珪くんのマネージャーさんが立っている。
ドクンと。
心臓が。
強く打ち付けられる。
鷲掴みにされる。
そんな感じがした。
「あ……」
「こんにちわ。 ごめんなさいね、急に。 ちょっといいかしら」
「……どうぞ」
マネージャーさんを居間のソファに案内し。
わたしはコーヒーを淹れて再度居間にやってきた。
ありがとう、と言ってマネージャーさんはカップに口をつける。
わたしは向かいに座り。
「……今日私が何故ここに来たか分かるかしら?」
「………………」
言葉にはしなかった。
だけど何となく。
分かった気がした。
理由はきっと。
一つしか、ない。
マネージャーさんは鞄から何通かの手紙を出した。
それをわたしの前に差し出す。
彼女は答えた。
「中、見てもいいわよ」
あまり気が進まなかった。
いい手紙じゃない気がする。
暫くマネージャーと手紙を交互に見やっていたが。
目で促され。
中身を見た。
それは。
珪くんへのファンレター。
珪くんへの想いが綴られているだけでなかった。
ぎゅっと目を瞑る。
自分への、わたしへの誹謗中傷の内容まであった。
「………………」
「分かってくれたかしら? あなたまで傷つくのよ?
……あの子は今本当に大事な時期で、仕事も順調にいってるわ。 このチャンスを無駄にしたくないの……わたしの言いたいこと分かるかしら?」
黙ってマネージャーさんの言葉を聞いていた。
固く瞑っていた瞳を開き、答えた。
「………………一週間待って下さい。 その間に……」
「……分かったわ」
ごちそうさまと席を立ち、マネージャーさんが帰ろうと居間のドアを開くと。
尽が立っていた。
「……尽……」
尽はじっとマネージャーさんを見ている。
彼女は尽を一瞥し、玄関から出て行った。
じっとその背中を見ていた尽は、わたしに向き直った。
「ねえちゃん、どういうことだよ?」
「……いつ帰ってきたの?」
「なんだよ、あいつ。 葉月のマネージャーか?」
「……あんたには関係ないの」
「別れろって言ってきたのか?」
「…………子供には関係ないの!」
「別れるのかよ!? 俺、葉月じゃなきゃイヤだぞ!!」
尽の言葉も。
届いたのか届かなかったのか自分でも分からなかった。
わたしは走って部屋に閉じこもり。
近くにあったクッションを抱いてベットに横たわった。
分かる。
分かってる。
みんなの気持ち。
珪くんの仕事も。
珪くんの夢も。
邪魔になんかなりたくない。
携帯に手を伸ばす。
リダイヤルでも履歴でも一番最初に出てくる名前。
何度も呟いたことがある名前。
「珪くん……」
この名前が好きで、何度も彼を呼んだんだ。
今日は仕事じゃない。
だからまだ寝てるかもしれない。
最近忙しそうだったから。
今日は諦めようと。
待受画面に戻そうと思ったその時。
急に携帯が鳴り出しぎくっとする。
見ると。
名前は“珪くん”。
珪くん。
わたしね。
本当は。
そのまま発信ボタンを押してわたしは電話に出た。
「もしもし……」
『ああ、俺。 おはよう。 起きてたか?』
「……うん」
『なあ、今から商店街で買い物でもしないか? 俺、ちょっと買いたいものがあるんだ』
「………………」
『……夏野?』
「……ねえ、珪くん……」
『ん?』
しばらく黙って考えていた。
優しい声。
胸が締め付けられた。
珪くん。
わたし。
『どうした?』
「……ううん、なんでもない。 じゃ、お昼に待ち合わせしよう」
「わぁ……」
買い物を終え、ふたりで商店街を歩いていると。
珪くんがモデルになった大手企業のポスターが目に入った。
ビルにおっきく飾られた。
恋人のポスター。
気だるげな視線をこちらにやりながら、自分を抱きしめるポスターの中の珪くん。
「……すごいね、やっぱ珪くんは」
「……そうか?」
正直。
心苦しい。
こんな風に一緒に歩いていても。
怖い。
誰がどんな風に自分たちを見ているか。
不快に思われていないだろうか。
聞きたくない言葉までが耳に入りそうで。
でも。
せっかくの誘いを断れない。
弱いんだ。
珪くんの傍にずっと、いたくて。
まだわたしの知らない彼をもっと知りたくて。
こういう風に。
モデルをしている時の珪くんもまだよく知らない。
悲しくなってきた。
涙が出そうになった。
わたしは珪くんが大好き。
誰よりも好きなの。
なのに。
なのに。
「わたしは……わたしには……」
「……夏野?」
わたしには珪くんしかいない。
今まで付き合った人もいない。
こんなわたしでもいいって思ってくれる人は珪くんしかいなかったから。
だけど。
だけど珪くんは……?
珪くんでもいい人なんて何人も何十人も何百人もいる。
珪くんが今までもこれからも付き合う人はたくさんいて、わたしはその中のひとり。
「ねぇ、珪くん……珪くん、今まで何人の人と付き合ってきた?
わたしは、何番目?」
「……は……?」
彼は眉間にシワを寄せる。
「何人の人、振ってきたの?」
珪くんは明らかに不機嫌な顔をして。
質問に答えた。
「……さあ、勝手に言われて面倒くさくて断ってきたから……いちいち数なんか数えてない……」
「……わたしは面倒くさくないの?」
「え?」
「いや、わたしから告白してたら珪くん、OKしてくれたかなって。
面倒くさくてフラれちゃうんじゃないかって」
「………………」
「モデルの人っていいな。 モテるから必要なときに付き合えるんだよね?
わたしなんかいつでも必死で、ここでフラれたらもう後がないんじゃないかって……」
「………………」
「もしかしたら、珪くん……昔の約束、無理に守ってくれてたりしてるのかな…………ねぇ珪くん……あの約束がなかったら今わたしとこうしてな」
「嫌な言い方するんだな……」
黙っていた珪くんが口を開いた。
見たこともないような怒りを顔面にさらして。
はっと我に返り。
言い過ぎたと気付いたわたしは。
慌てて謝った。
「ご、ごめん! 珪くん!! わたし、そんなこと言うつもりじゃ……!!」
「何番目って何だよ……おまえがそんなこと思ってるなんて思わなかった」
「珪……!」
「帰る……じゃあな」
彼はわたしに背を向け。
商店街を歩いていく。
わたしはその場に立ち尽くし。
彼の背中を見ていた。
追えなかった。
珪くんは振り向かない。
踵を返すこともない。
当たり前じゃない。
あんな事言われたら。
誰だって。
嫌ってくれていいんだ。
これで。
いいんだ。
珪くんのためになるなら。
本当に、ごめんね。
わたしは顔をあげることもなく。
一人で帰路についた。
わたしは家の近くの公園で。
ブランコに乗り、ずっと下を向いていた。
珪くんを傷つけた罪悪感。
珪くんのまわりの人たちの言葉。
マネージャーさんも。
大学の子も。
珪くんと別れろと。
途端。
鞄の中から電話が着信を知らせるために鳴り出す。
「……ごめんね……? わたし……出られないんだ……」
相手は分かっている。
一人しかいない。
特別の着信音。
ねぇ。
珪くん。
わたしね。
何を差し置いても。
珪くんが一番、大事なんだよ。
珪くんのためなら。
わたし。
何でもできる気がするんだよ。
珪くんは今、頑張ってる。
身体の方が心配になるくらい。
傍にいないのが辛いんじゃない。
だって。
逢えないだけで。
電話もくれる。
毎日、話ができてる。
でもね。
珪くんが頑張ってるなら。
珪くんがモデルとして。
今が一番大事な時だって言うのなら。
それを応援したいんだよ。
珪くん。
わたし。
珪くんのこと……。
「signal ―scene 4 あなたのためなら」 |
20170129 |