午後の大学の校門。
いろいろな人たちが行き交ってる。
傍らのベンチに座ってわたしは。
ちらちら大学の校舎の方を見ながら。
俯いて鞄の取っ手を弄んでいた。
浮かれてる気持ちを顔に出さないように。
他の人と目を合わせないように。
なるべく左手の薬指を見られないように。
隠しながら。
髪を耳にかけた。
今日は少し日差しが強いかな。
髪、まとめてくれば良かったな。
そう言えば。
大分伸びたかも。
ずっと高校時代は肩までの長さを保ってたそれ。
でも。
珪くんと付き合い始めて。
伸ばそうと思った髪。
今日は。
久しぶりのデートだから。
結ってきても良かったかな。
あ。
暫く待っていると、彼がゆっくり歩いてくるところ。
本当に目立つんだな、珪くん。
目を細めてしまった。
相変わらず眠そう。
でもすらりとした長身で、スタイルもいいし。
髪も陽に当たってキラキラしてる。
彼と付き合ってるだなんて。
未だに信じられない。
これはいつか醒めてしまう夢なんじゃないかと。
いつも不安でいる。
幸せすぎてね。
怖いんだよ。
珪くんを失うのが。
ねぇ、なっちん。
抱かれなくてもいいんだよ。
それは寂しい事なのかもしれないけど。
今はねそんな事望んでないよ。
珪くんの傍にずっといられたら。
今は。
珪くんの安らぎになりたいだけ。
珪くんが歩くと周りの女生徒が一斉に振り向く。
やっぱり高校の時とは違うな。
ううん、高校の時もそうだったけど。
少し違う。
いろいろな所からいろいろな人がここに通ってるもんね。
ほら女のコだけじゃない。
男のコだって珪くんの動向に目を向けてる。
本当に。
珪くんはすごい人なんだな……。
そんな中、珪くんがわたしに気づいてくれて。
足早に向かってきてくれた。
「悪い……結構待ったろ? 何だか知らないヤツに捉まってた」
「ふふ、ファンのコかな」
彼は少しばつの悪そうな顔をして謝った。
「平気だよ。 わたしも今来たとこなの」
「そっか……じゃ行くか」
珪くんが歩き出して。
わたしも立ち上がり、その後をついて行く。
この後、嫌でも。
耳に入る言葉と嘲笑。
「やだぁ、あんなコがカノジョなの〜?」
「信じらんない〜」
珪くんを見る。
……大丈夫。
聞かれてない。
そうだよね。
わたし達が付き合ってるの。
知ってる人、少ないから。
前に珪くんに提案しておいて良かった。
珪くんに彼女がいると分かると周りで騒いじゃうからと。
“なるべく黙っていようか”と。
珪くんはなぜか面白くない顔してたけど。
同意してくれた。
だから。
ほら今だって。
昼は手を繋がない。
今初めて言われたわけじゃない。
今までだって同じ事たくさん影で言われた。
でもそういう言葉を改めて聞くと。
項垂れる。
自分にそんなに自信がないし。
それに。
みんなに申し訳なくて。
本当ならわたしもみんなと同じ立場なのに。
彼ならもっとステキな女のコがいるだろうに。
「……ん? どうした?」
かなり低めで囁かれるとぞくっとしてしまうような声の持ち主は、怪訝そうにわたしに尋ねる。
下を向いていたわたしは弾かれたように珪くんに向き直った。
「う、ううん、なんでもないよ」
「……?」
不思議そうな顔をして彼は再び前を向き歩いて。
その広い背中を。
見失わないように。
わたしは2、3歩後をついていった。
「今度さ……撮影現場来ないか?」
優雅に泳ぐ水族館の中の魚たちを見ながら。
急に珪くんはわたしに聞いてきた。
ビックリした。
珍しい。
珪くんがそんな事言い出すなんて。
「……今度の撮影、新しいカメラマンと組むんだ。
それに俺、初めてなんだけど……他のモデルと一緒なんだ」
「え?」
「………………女の……」
「女の人と一緒なの?」
「……ああ……そうらしい……」
「でも……邪魔じゃない? わたし関係者じゃないし……」
「いや、今回はおまえがいてくれたほうが助かる」
水槽の青さに照らされながら、お祖父さん譲りの深い緑の瞳はいつも。
わたしをまっすぐ見てくれる。
何もかも見透かすように。
時々目を逸らしたくなる。
思ってるコトが珪くんにバレちゃいそうで。
モデルさんの珪くんは高校の時“ALUCARD”でバイトしてたから、合間にコーヒーを差し入れたりして見れてはいたけど。
高校卒業と同時にわたしはバイトも辞めてしまっていた。
大学に入って珪くんが忙しくなっちゃったから、邪魔をしない程度に珪くんに逢いたくて。
再開しようかなとは思ってはいたんだけど……だけど。
珪くんのお仕事。
見たいよ。
行きたいよ。
本当は。
でも。
でもあのマネージャーさん。
いるんだよね……?
「ダメか?」
「………………平気かな……?」
「大丈夫だよ、全然平気だから……久しぶりだろ。
たまには来いよ、俺が仕事してるとこちゃんと見せたい」
柔らかく珪くんが微笑む。
あの卒業式以来、本当に優しく笑ってくれる。
ズルいよ。
珪くん。
そんな顔をされると断るに断れなくなるよ……。
わたしは。
渋々だけど。
頷いた。
「サンキュ」
彼は長身の身を屈め、短くわたしの唇にキスをする。
「ダッ、ダメだよ! こんなとこじゃ! みんなに見られるよ!」
「俺は見られても平気なんだけど……大丈夫、誰も見てない」
いたずらっぽく笑う珪くん。
わたしは真っ赤になって俯くしかなかった。
スタジオに入るなり珪くんは撮影の打ち合わせで控え室に入る。
ああ、本当に久しぶり。
変わってないな。
知ってるスタッフさんに挨拶をして、わたしはスタジオの隅にある椅子に腰掛けた。
スタジオをちゃんとこうして見たのは初めて。
いろいろな人が関わってるんだよね。
わたしは少し落ち着かなくて。
びくびくしながら……いないか、きょろきょろしてしまった。
暫くしてスタジオに入る珪くん。
その後ろにマネージャーさんらしき人。
きっと、あの人だ。
心臓が跳ね上がる思い。
なるべく目を合わせないように下を向く。
衣装に着替えた珪くんの表情は真剣そのもの。
わたし。
珪くんの仕事してる時の顔って好きだな。
でもやっぱり。
世界が違う。
そのうち一緒に撮影する女の人がスタジオへと入った。
わぁ……綺麗な人だなぁ。
わたしより……2、3つくらい上かな。
ほっそりとした人。
手も脚も長く華奢で。
大きなカールの長い髪。
大人の魅力がある。
何もかもが敵わない感じがする。
化粧も服装も。
わたしは急に子供っぽい自分が恥ずかしくなってしまった。
撮影が始まる。
珪くんとその人はソファに座り、お互い見つめ合ったり笑い合ったりしている。
傍から見ても。
恋人同士な二人で。
よく似合っていて。
カメラマンの人の指示で珪くんの手が彼女の肩に回る。
小さくて女らしい肩に。
男の人ってああいう人を抱きたいんだろうな。
綺麗な人を隣に置いて一緒に歩きたいんだろうな……。
はっとした。
やだ。
わたし。
落ち込んでる。
仕事なのは分かってるんだ。
でも、珪くん。
珪くんだって男の人だもん。
そう思う事、きっとあるよね……?
「いいね、葉月くん。 すっごくいい顔してるよ〜。
じゃ、ちょっと抱き締めてもらおうかな」
途端。
珪くんの顔が曇った。
「……聞いてない」
「いや、今日はそういう設定だから……打ち合わせは済んでるはずだ」
スタジオがしんとなる。
険悪な雰囲気。
珪くんはマネージャーさんを睨んでる。
でもマネージャーさんは素知らぬ顔をして自分の手帳に目を通していた。
撮影を止めようとして。
珪くんはいきなりソファから立ち上がり。
控え室へ戻ろうとした。
慌ててわたしは。
珪くんを止める。
「け、珪くん!」
彼はわたしを見る。
――ダメ! 仕事!!
声には出さず口だけ動かして。
珪くんを説得する。
じっとわたしを見ていた彼。
暫くして深い溜息をつき。
観念したように珪くんはソファとモデルさんの所に戻り、目を閉じた。
「……続けて下さい」
わたしも胸を撫で下ろした。
本当は。
ほっとなんかしてない。
もうわたしの心の中は。
目を閉じていた珪くん。
ゆっくり目を開け、意を決したように相手のモデルを抱き締めた。
胸が。
痛くなる。
「葉月くん、目線だけこっちね」
カメラマンの人に言われ、視線を動かす。
背中と腰に回された手は力強く彼女を引き寄せている。
今度は指示されてお互い見つめ合って。
吐息が触れ合うくらいの至近距離。
珪くんは優しく温かい瞳を彼女に投げつけ、微笑を見せた。
これ。
知ってる。
わたしにくれる笑顔。
カッコ悪い。
自分で引き止めておいて。
嫉妬だなんて。
ごめん、珪くん。
直視、できない。
ちょっと……耐えられそうにないよ。
俯いて唇を噛み締める。
仕事なのは痛いほど分かってる。
だから偽りの笑顔だとも百も承知で。
でもカメラマンの人が口にしていたことが気になって。
いい表情だったと。
ただ単に調子が良いのか。
相手が綺麗なモデルさんだからなのか。
いい、笑顔だったな。
逢えなかった分、もらった珪くんからの電話は本当に嬉しかった。
寂しくなかった。
全然、と言ったら嘘にはなるけど。
その逢えない間に、珪くんはちゃんと仕事が充実してて。
大人になってて。
子供なわたしは完全に置いてかれていて。
やっぱり良かったんだ。
珪くんに何も言わなくて。
迷惑かけられない。
変な心配もさせたくない。
いろいろな思考が頭を独占し。
ぎゅっと目を瞑った。
胸が痛くて。
珪くんの顔がまともに見れなくなり。
いてもたってもいられず。
わたしはスタジオのドアを開けて外に出た。
音をなるべく立てないよう、静かに閉めようとすると。
珪くんのマネージャーさんがそれを止めた。
彼女も外に出る。
「あなた? 珪のカノジョって。 この間電話くれたのもあなたかしら?」
「……あの……」
わたしの言葉を遮る。
「言ったでしょ? 今珪はモデル界にとって何年かに一度の逸材なの。
だから邪魔しないでちょうだいって!」
中にいる人間に聞こえないように小声で。
でも怒気のある声。
わたしに言い放ちその場から立ち去った。
その場に残され。
壁に。
寄りかかった。
やっぱり、そうなのかな。
わたしって珪くんとつりあっていないのかな。
どこでもそう。
学校でも。
道端でも。
……スタジオでも。
わたしはここに。
珪くんの隣にいちゃダメなのかな……。
「signal ―scene 2 伏せた瞳」 |
20101221 |