近藤さんが違うと感じたのは江戸に来るちょっと前から。
確かにここのところ慌しい。
局長としての悩みが沢山あるのは分かってる。
でも違う何かを考えているようで、上の空で。
土方さんの呼びかけにすぐ返事する事もなくて。
また。
それ以上に。
私と目を合わそうとしなくなった。
私と話してもそっけない事が多くなった。
……私、何かしたんだろうか……。
もしそうなら謝りたい……。
近藤さんへの想いが強くなる一方。
それが許されない事だと近藤さんに言われてる気がして。
――近藤さん……。
もしあなたがそうであると言うのなら……私の想いは断ち切ります。
だから……だからせめて前のように私と話をして下さい。
他愛のない話で笑い合いたいです。
とても……とても胸が痛いです。
あなたと話せないのは……。
あなたに嫌われてしまうのは……。
「あ、桜庭君……」
吃驚して振り向くとそこには近藤さんが立っていた。
屯所の廊下。
周りに誰もいない。
「こ、近藤さん……どこかへ、お出掛けですか?」
近藤さんはいつもの優しい笑顔で。
「ああ、江戸に戻ってきたからねぇ、家に行って来ようと思って」
あ……そっか……。
折角江戸に戻ってきたんだもんね。
近藤さんだって家でゆっくり過ごしたいはずだ。
そして、奥様と娘さんで楽しいひとときを過ごす。
周りから見れば微笑ましい光景。
やっぱり胸は痛むけど。
近藤さんにとっての一番の癒し。
ちゃんと分かってる。
「そうですよね、奥様も娘さんも大喜びですよ! 気をつけて行って来て下さい。
屯所の事は心配しないで下さいね?」
私は近藤さんに背を向けた。
大丈夫。
ちゃんと笑えたもん。
ぎこちなくなかったよね?
それでもそこにいるのは切なくて。
部屋に戻ろうとした。
「……桜庭君」
「はい?」
近藤さんが口篭る。
「あ、あのさ……その…………試衛館、見に来ないか?」
「え?」
近藤さんの家。
みんなと一緒に夢を語ったその場所。
見たい。 行きたい。
そんなの決まってる。
でも……そこには奥様もいる……娘さんもいる。
近藤さんが奥様たちに対する笑顔を見て。
私……大丈夫?
しっかり自分を保っていられる……?
………………いられるよね?
そんな近藤さん見れば、私諦められると思う。
私の想いは誰が見ても断ち切るべきもの。
そんな想いが存在してたら。
近藤さんが傷つく。
奥様も、娘さんも傷つく。
なら……やはり諦めよう。
成就する想いじゃない。
そしたら近藤さんともっと話もできる。
心の底から笑い合える。
……近藤さんじゃなきゃダメ、なんて事ないでしょう……?
「……もしも行きたくないなら……」
「私……行きます」
「え?」
「みんなが集まってた試衛館、私も見てみたいです」
行ったら後悔するかもしれない。
でも行かなくても後悔する。
きっと、後悔する。
「あ……そ、そうかい? じゃあ行こうか」
今日は冬なのに陽気がいい。
なんて今日の陽は眩しいんだろう。
そういう理由じゃなくて。
もっと違う理由で試衛館に行きたかった。
こんな思いをしないで。
もっと……気楽に……。
「おっと、桜庭君。 そっちじゃないぜ?」
前を歩いてたはずの近藤さんは気付けば私の後ろの角で立ち止まっていた。
知らずに近藤さんを追い越してしまってたらしい。
「ははは、きみは相変わらずポーっとしてんだなぁ」
「す、すみません……」
近藤さんが「迷子になるといけないから」と。
私の手を引いてくれた。
温かい。
近藤さんの左隣が心地いい。
私がこんな想いを抱いてなきゃ。
普通にしていられただろうに。
胸の痛みは治まる事を知らなかった。
屯所を出て半時ほど。
「あそこに団子屋あるだろ? これがまた最高でね、娘に買っていってやるかな。
ちょっと待っててな」
手を離して近藤さんは店に入る。
流石に試衛館まで手を繋いでるワケにはいかない。
この辺も近藤さんの知り合いばかりだもんね。
団子を手土産に買い、着いた試衛館。
「おーい、今戻ったぞー」
暫くしてとても綺麗な女の人が奥からやってきた。
「まぁ、あなた……おかえりなさい」
「つね、ただいま」
「あなたの活躍ぶり、聞いておりました。 最近では大変だったでしょう。 さぁ、娘も待っておりますわ、会ってやって下さいな」
「ああ、何年ぶりかなぁ……デカくなったろ?」
「ええ、あなたに会えるのを本当に心待ちにしておりました」
「じゃあ、俺は娘のトコに……あ、つね。 この娘は桜庭君。 新選組の隊士さ」
紹介されて奥様は私に微笑む。
「まぁ……桜庭さん? 初めまして、近藤の妻です」
「あ……は、はい……初めまして、桜庭と申します」
「つね、桜庭君に道場を案内してくれよ」
「ええ、わかりました」
近藤さんは奥に入ってしまった。
ここにいるのは奥様と私。
とても綺麗な女性。
私が普通の女の子だったら……ううん、今でも。
こんな女性になりたいと憧れていた。
清楚で可憐でしとやかで……。
正直、近藤さんの笑顔を見たくなかった。
でも、来てよかったんだと。
無理矢理思い込まないと。
泣いて、しまう。
「ここは近藤が育ち、他の隊士と出会い……全ての原点なんです。 あの人がどれだけ変わろうともここだけは変わりません…………例えば近藤がどれだけ太夫と戯れていても……」
「………………」
「理解できないかしら……あの人の癒しなのです、女性が傍にいないとダメになってしまう人なのですから」
どうしたらそれだけ近藤さんの事を信じてあげられるんだろう。
近藤さんが島原で遊んでいても。
奥様は近藤さんを。
「私はあの人を疑った事はありません……あの人の愛を。 いつでもここに戻ってきてくれると信じてます」
近藤さんの帰りを信じていつでも帰れるように、奥様は待ってる。
知ってる。
これはもう絆しかない。
バカだ。
こんな二人の間に入る事なんて到底無理な話だったのに。
知っていたはずなのに。
どうして……どうして近藤さんの事、好きになっちゃったりしたんだろう……。
傷つくのは嫌なくせに。
傷つくしか後はないのに。
「……近藤から聞いておりますのよ? あなたの事」
「え?」
「月に何度か近藤から文を貰いますの。 その中に桜庭さんの事、いつでも書いてらして……」
「あ、あのっ……それは……もうどうしようもないほどダメな隊士だとか……」
奥様は笑って答える。
「いいえ、とても頼りになる剣士だと……危険な任務も任せられる立派な隊士だと」
驚いた。
普段何も言わない近藤さん。
言ってくれても本気か冗談か分からない。
でも自分の知らないところで、近藤さんが私の事をそう言ってくれていただなんて。
「でも……近藤は最近変わってきたみたい」
「?」
「あなたに対する想いが……」
「……奥様?」
奥様は一通り試衛館の中を案内してくれて。
居間に通され、お茶を淹れてくれた。
「近藤のあなたに対する想い……それがいつしか恋になっているようです」
「え?」
「手紙の文中でもそれは分かりました。 『今日桜庭君は楽しそうだった』とか『最近あの娘が悲しい顔をしていて、どうしたらいいのか分からない』とか……あなたに嬉しい事があると近藤も喜んで、あなたが悲しむと近藤も落ち込んで……あの人は気付いてないのかもしれないけど、あなたに関しては仕事の事でなく、あなた自身の事が書かれている事に変わり始めていたの」
近藤さん……?
まだ私は飲み込めていなかった。
近藤さんが何故そうしていたのか。
近藤さんがどういう気持ちで私と接していたのか。
「あなたは近藤の事を好いていらっしゃるのね」
「え……?」
「ふふ、すぐに分かりましたよ」
「あ、あの……」
「近藤も太夫ではない一人の女性を特別な目で見ている……でも……近藤は今迷ってるみたい。
あなたにどう接すればいいのか……どうしたら笑ってくれるのか……今まで一緒に新選組として活動してきた仲間に淡い恋心を抱く……その事にあの人は今戸惑ってるようです」
「奥様……」
一口お茶を飲んで、奥様は続ける。
「お願いします……近藤の気持ちに応えてもらえませんか?」
「……! 奥様……それは……っ!」
奥様は悲しそうに笑って小さく首を振った。
「いいんです……私は近藤を待つだけの身。 あの人とあの人の夢に一緒に向かえなかった……あの人の夢に邪魔にならないよう後をついていくだけ……とても悔いました、こんな自分を……だから……だからその役目を桜庭さんに託そうと……いいえ、もともと私の役目ではなかったの……あなたにしかできない事なの」
「……奥様」
娘さんまで生した仲なのに、どうしてここまで仰るの?
奥様……とても強いお人……。
とても……とても私ではここまで言えない。
「奥様……私……確かに近藤さんの事が好きです……でも……でも新選組の局長という事で隊士の私は近藤さんを支えなきゃいけない、近藤さんを守らなきゃいけないと。
だから……隊士でなければ近藤さんの傍にはいられないんです! 戦いが終わったら近藤さんはここに戻るんです!」
「………………」
奥様は静かに笑い黙って私の言うことを聞いていた。
「近藤さんの夢をともに分かち合いたい…………確かに優しくて頼りになる人で……でもそれは同じ新選組隊士としてであって……私が近藤さんと結ばれたら……近藤さんの重荷に……奥様にも迷惑が……」
「桜庭さん……」
「ですから……近藤さんにこの胸中を伝えるつもりはなくて……」
「桜庭さん……人が人を好きになる事はとても素晴らしい事。 私の事はいいんですよ?
どうか……あなたさえよければ、お願いします」
奥様は私に深々頭を下げた。
「傍にいてやって下さい、支えてやって下さい……鳥のようなあの人と共に夢へと羽ばたいて下さい」
「お、奥様っ、頭を上げて下さい!」
「私より近藤から想いを告げられる方がいいのでしょうけれど……このままだとあの人もこの先ずっと何も告げずに……それに私の気持ちも整理がつかなくて…………私もあの人の重荷になどなりたくないのです……」
「……奥様……」
奥様は私の手を取り。
自分の胸に導いた。
「だからあなたの気持ちも近藤に伝えて…………私は……悲しいあの人の……苦しむあの人の顔を見たくないのです」
私は泣いていた。
ここまで思うのにどれだけ時間を費やしたんだろう。
近藤さんがいつ戻ってくるか分からないこの場所で、たったひとりで。
「奥様……私、奥様から近藤さんを奪いたいなどと思った事はありません、ただの一度も。
近藤さんは奥様を愛していらっしゃる。 それは偽りのない事。 私でも知ってる真実です。
近藤さんと奥様は強い絆で繋がれていて、それは誰にも引き裂く事はできないんです……そしてそれが覆るような、近藤さんが奥様を見限ってしまうような事など決して有り得ません……それは私も望んではいないんです。
ですから……だからそれも含めて私は近藤さんを……愛そうと」
「桜庭さん……」
「奥様を好きな近藤さんが好きです。 奥様をひっくるめて近藤さんが大好きです」
奥様は微笑んでくれた。
目尻にうっすら涙を溜めて。
「本当にありがとう……」
「……すみませんでした……今日はありがとうございました……。 私屯所へ戻ります。
近藤さんは折角自分の家に戻ったんです……ですから暫くここにいて下さいと、お伝えください」
「はい……桜庭さん」
「は、はい」
「またいつでもいらっしゃって下さいね? いろいろお聞きしたいわ、新選組の事……近藤の事」
「……はい!」
奥様に別れを告げ、試衛館を後にした。
帰り道。
奥様の言葉が頭の中を巡る。
何度も何度も。
断ち切るつもりで奥様にお会いしたのに。
近藤さんに私の気持ちを告げて。
近藤さんはどう思うんだろう?
今以上に何も話せなくなったら?
笑い合うことすらなくなったら?
……それでもいい。
想いが止まらないなら。
悔いのないようにしよう。
近藤さん。
今日は自分の家でゆっくりして下さいね?
私は戻ります。
ひとりで大丈夫。
本当にごめんなさい。
近藤さんごめんなさい。
奥様ごめんなさい。
自分の想いを告げるのに、何人の人を傷つけるんだろう。
ごめんなさい。
それでも。
告げます。
だから、最初で最後。
届く事は望みません。
でも。
どうか、聞いて下さい。
「告白 ― 前編」 |
20050716 |