俺はゆっくり目を開けた。
太陽のせいで白々しい見慣れた自分の部屋が飛び込んでくる。
枕元にあった携帯に手を伸ばし、見ると11時24分。
ああ、そう言えば昨夜は除夜の鐘聞かなかったな……。
今年は外国で新年を迎えると両親から連絡があったこの家には、勿論自分一人しかいない。
もう一度目を閉じる。
静けさが耳にしみて痛い。
一つ大きな溜息が漏れた。
……新年か……。
去年は何かいろいろあったような気がする。
俺は少しずつ変わっていくのが分かる。
それは本当に少しずつ。
その日その日は分からなくても。
こうして1年を振り返ってみると、分かる。
今まで新しい年を迎えても感じなかった。
それはあいつが現れてから。
……俺は今年に何か期待しているんだろうか……。
目を開け身体を起こし、手に持っていた携帯の履歴を押す。
表示される名前。
今日……あいつと過ごしてみようか……。
断られたら他の誰とも行く気はないからまた寝ればいい。
俺はその手で発信ボタンを押した。
2回機械音が鳴ると相手が電話に出た。
『もしもし?』
「……俺、葉月」
『あ、葉月くん! おはよう!! あれ? 起きたばっか?』
「……ああ……」
『声、寝起きだよ』
くすくす笑ってる。
「今から初詣に行かないか?」
『え? ホント!? 行く行くっ!!』
ちょっと拍子抜けした。
そんなに早く返事が聞けるなんて。
でも少し顔がほころぶ自分も否定できなくて。
「そっちに行くから支度して待ってろ」
うん、わかったと言って電話を切った樋渡。
いつもそうだ。
普段のデートでもそう。
いつも嬉しそうに電話をくれる。
……俺だけじゃないのかもしれないけど……。
俺は立ち上がってバスルームへと向かった。
樋渡の家のインターホンを押す。
暫くしてドアを開けたのは弟だった。
「お? 葉月! 待ってたぜ。 ねえちゃん葉月と初詣行くってもう大はしゃぎでさ、ものすごい洒落ちゃって」
「尽! 余計なこと言わないの!!」
後ろから出てきた普段見ることのできない樋渡に俺は少し驚いた。
怒られた弟はきひひと笑って家の中に入った。
下駄を履いた樋渡は俺の前にちょこんとやってきた。
「おまたせ!」
「晴れ着……着たのか」
「う、うん。 おかしいかな?」
自分の姿を確認し、俺に問う。
俺には姉妹がいないし、身近にそういう女もいないから新鮮だった。
晴れ着ってこうなってるんだな、と。
見慣れない格好に俺は少し戸惑いを感じたが。
「ああ……いいと思う」
「ホント!? よかったあ!」
まったくよく笑う。
でも女のこういう格好を見るのは嫌じゃない。
むしろ……好きかもしれないな。
「あ、あけましておめでとう、葉月くん!」
「ああ、おめでとう。 じゃ、行くか」
着慣れないせいか。
歩幅もただでさえ小さいのに今日は輪をかけてゆっくりだ。
俺は気付かれないように樋渡の歩幅に合わす。
こういうの嫌いじゃないな……こうしてゆっくり歩くの。
急かされなくていい。
冬休みで暫く会えなかったこいつは、年が明けてもよく喋る。
会えなかった間、いろいろな出来事を片っ端から教えてくれる。
俺は頷くだけだけど。
「あ、ごめんね、わたしまたひとりで話しちゃった」
俺としては妙に楽しかったりする……。
「……別にかまわない」
「あ、そうだ。 わたしね」
「……?」
「葉月くんからクリスマスプレゼント貰ったでしょ? だからお返し」
「え?」
樋渡は持っていたバックから包装されたものを取り出す。
「この間わたしが出したプレゼントと同じなんだ。 もしよかったら……」
「バカ……よかったのに……」
「でもわたしばっかり貰っちゃったから……ね?」
「ああ……サンキュ」
俺は樋渡からそれを受け取る。
「……見ていいか?」
「あ、いいよー」
包装紙を広げ、中を見ればそれは仔猫のカレンダーだった。
俺が前に商店街でたまたま入った雑貨屋にあったカレンダー。
欲しかったけど、まだ年明けまで日があるとそのまま買わず、外に出た。
で、忘れて今まで買わなかった。
「ありがとうな。 俺、欲しかったんだ」
「本当に? やったー! よかった。 あ、見て! すごい人!」
そうこうしてるうちに着いた神社にははばたき市民が全員来てるのではないかというほど、人でごった返していた。
俺たちはその波に乗ったが、なかなか前には進めない。
相変わらず人が多い……人酔いしそうだ。
気付くと後ろにいるはずの樋渡がいなかった。
「樋渡?」
「は、葉月く〜ん!」
見れば3メートルほど後ろで人に埋もれていた。
忘れてた。
こいつが晴れ着だってこと。
背も低いし、歩きにくい上に人にのまれているから、頭しか見えなくて。
俺は少し逆流して樋渡と合流できた。
「悪い……」
「ご、ごめんね、わたし晴れ着着てくるんじゃなかった……」
しょげた樋渡の頭を小突いた。
「バカ、いいんだよ」
着ていたジャケットの裾を上げた。
「ほら、俺のベルト通しに指ひっかけてろ」
こんな場所ではぐれたら困る。
絶対見つからない。
びっくりした樋渡は俺を見ていたが、すぐ笑顔になって謝った。
「ごめんね、ありがとう」
自分の人差し指をベルト通しに引っ掛けてのろのろ歩く。
ようやく賽銭箱の前にたどり着いた時にはこいつの息も少しあがってて。
俺たちは小銭を投げて祈る。
俺の願いは一つしかない。
ずっとこのままでいられるよう。
これ以上離されないよう。
できることならもう少しだけ距離が縮まるよう。
俺ははっと目を開けた。
祈ってて自分で驚いた。
距離が……縮まる?
違う。
俺は……ただ単に誰かと一緒にいたいだけなのかもしれない。
俺の気持ちを……誰かに伝えたいだけなのかもしれない。
それが、こいつなのかもしれない。
どこかで否定している自分もいる。
俺は一生このままなんだと、誰に心を開くでもなく。
でも否定するそんな俺をまた否定する人間がいた。
だから……俺は。
……縮まらなくてもいい。
このままでもいい。
ただ、違うだけなんだ。
他のヤツと。
横を向いて樋渡を見ると、まだ祈っていた。
真剣そのものの表情で祈っていた。
ようやく目を開けた樋渡と目が合う。
へへと笑って顔を赤くして俺を見る。
帰り道、やっと人込みを抜けて俺たちはそれぞれの家に向かう。
「……何願ってたんだ?」
「え?」
「いや……ものすごく真剣だったから……」
樋渡はいたずらっぽく笑って答えた。
「な・い・しょ! おみくじも大吉だったしね、今年はいい事あるかなぁ?」
「ああ、おまえは今年きっといい事ありそうだ」
「何で分かるの?」
「俺、そういう勘は当たるんだ……おまえの願いかなうといいな」
笑顔で樋渡は。
「うん! 葉月くんもね」
「………………ああ、そうだな……」
新しい一年が始まる。
「prayer ―― kei side」 |
20040822 |