うららかな6月の昼下がり。

こんな日の午後の授業はどうぞ寝て下さいと言わんばかりの晴天。

窓際の一番後ろに席を設ける葉月は、今日もまた机に突っ伏していた。

本来ならこの体勢では間違いなく熟睡だが。

体の前で組んだ腕を枕に彼は窓の外を見やっていた。

一応は目を開いてるが、授業の内容などは一切彼の耳には届いていない。

青々とした木々が葉月の瞳に映し出される。

そんな青さがとても目にしみた。

ふと、斜め前の“彼女”を見る。

夏野は先生の話に耳を傾け、一生懸命ノートをとっている。

そんな彼女の小さい背中を葉月はじっと見ていた。

 

夏野がおかしい。

 

と感じるようになったのはいつからだろう。

正確に言えば学校内の接触は以前と変わりはない。

休み時間でも寝ている葉月を起こしてくれたり、葉月の分のお弁当も持参し、猫の一家がいる校舎裏で他愛もない話をしながら、昼休みを共にしている。

バイト先でも変わらない。

でも。

問題はその後。

HRが終われば一目散に鞄を持って教室を飛び出している。

「一緒に帰ろう」という暇も与えないほど。

極めつけは日曜日。

毎週のようにあったデートの誘いが無くなった。

こちらから誘っても断わられるばかりだった。

ここ数週間、ずっと。

 

――……別にそんなのなくったって…………。

 

それでも、葉月も心中穏やかではなくて。

何か気に障ったことを言ってしまったのかと、あれこれ自分の言動を思い出していた。

それでも思い当たらない。

いっそのこと、本人に確認しよう思い、やっぱり授業が終わるまで待ったが放課後になると例の如く鞄を抱え、教室から走り去ってしまったのだった。

 

 

その日も夏野からの誘いは無かった。

今日学校もバイトもない葉月は、たまにはと帽子を目深に被り家を出た。

向かう場所は森林公園。

別に意識してるわけではなかったが、こうして街中を歩いていると偶然でも夏野に会えるような気がして。

そんな葉月の予感は大抵当たる。

案の定。

商店街を抜けようとした時、葉月の心臓はドクリと鳴った。

人込みに紛れても見つけることができる。

小さくて肩で揺れる褐色の髪。

前方から夏野がやってきた。

確かに逢えたらいいなとは思っていた。

 

――でも、まさか……。

 

逸る気持ちを抑え、夏野に近づこうとした時。

目の当たりにした瞬間、葉月は硬直した。

夏野には連れがいた。

少し浅黒い肌で、自分より長身の男。

夏野の肩に手を回すほど調子の良さで、夏野もダメだと拒んではいるが、その瞳は笑っていて満更でもなさそうな感じだった。

このままでは、とどこか隠れる場所も見つからず、帽子を更に深く被り俯いてその方向に歩き出した。

だんだん近づいてくる二つの足音。

嫌でも聞こえてくる。

3メートル。

2メートル。

1メートル。

そしてすれ違う時。

 

「あはは、姫条くんって面白い人だよね〜」

「そりゃ自分がおるからやないか」

「まったく調子がいいんだから〜」

 

聞きたくなかった楽しそうな声、自分だけ向けて欲しかった笑顔。

ぐっと唇を噛み締め。

真っ白になるほど自分の拳を握り締めていた。

 

 

 

翌日。

なかなか寝付けなくて早く起きてしまった葉月は早々と学校にやってきた。

次第にクラスメートも集まりだしその中には夏野も混じっていた。

クラスの友達に片っ端から挨拶をし、自分の席に辿り着いたところで、葉月に気付いた夏野は彼に挨拶をした。

 

「おっはよ、珪くん! 今日は早いね!」

「………………」

 

彼女の瞳を見ず、夏野は不審に思った。

 

「……どうしたの?」

 

夏野の質問に葉月は多少は戸惑っていた。

聞いていいものなのか。

聞いてもそれは自分が喜ぶようなことじゃないと。

そう朝から自問自答していたにも関わらず、それでも胸のモヤモヤとした気分から抜け出したくて。

 

「……おまえ、昨日……姫条といたろ?」

 

ぱあっと顔を輝かせる夏野。

ますます苛立ちを感じる。

 

「よく知ってるね!? 商店街にいたの?」

「………………」

「姫条くんにね、いろいろなお店教えてもらったんだよ。 姫条くん、何でも知ってるから。 楽しい人だよ、この間もね雑誌見せてくれてね……」

 

一通り彼とのその日までの行動を話し終えた夏野に対して、葉月はその最中ひどく不機嫌な顔をして。

でも、次の夏野の言葉を聞き逃さなかった。

 

「わたしも早く見合うようになりたいから、いろいろ教えてもらってるんだ」

 

そこで葉月は確信した。

夏野は姫条のことを好きなんだと。

その場にいるのが嫌で、葉月は椅子を鳴らし立ち上がった。

 

「ど、どうしたの? わたし、また何か言っちゃった?」

「………………」

「ごめん……」

「……おまえ、俺といて楽しいのか……?」

「え……?」

 

夏野は彼を見上げて大きな瞳を開いた。

 

「楽しいよ……?」

 

葉月はもううんざりだと、傍目にも分かるほどに冷ややかな視線を夏野に送った。

 

「……樋渡」

 

瞬間、夏野の瞳に悲しみの色が混ざった。

周りの人間でも分かるほどに。

 

「……もう俺に話しかけるな。 そいつのほうが楽しいだろ?」

 

クラス中が静かになって、葉月はその中人込みを掻き分けるように教室を出た。

 

 

 

――もう一週間だな……。

 

夏野と話をしなくなって一週間。

葉月は放課後の廊下を歩いていた。

鞄を脇に抱え、両手をズボンのポケットに入れて校舎から部活をしているグラウンドの生徒たちをぼやっと見ていた。

話すこともなくなり、目を合わすこともなくなった。

弁当も作ってきてくれたけど、とても食べる気にならなくて、『もう作らなくていい』と拒んだら作らなくなった。

その時の夏野の表情が忘れられなくて。

泣きそうになるのを堪えて『……そっか』と笑って走って行った。

 

 

人通りも少ないこの廊下で、突き当たりにある図書室。

たまには本でも借りようかと部屋に入った瞬間。

広い机に何冊も参考書やら問題集やらを開き、格闘している夏野の姿があった。

幸いにも彼女は葉月に気付いていない。

葉月は夏野に見つからないように回り込んで夏野の背後にある、本棚の前に後ろ向きで立った。

少し振り返り夏野の手を覗き込むと、それは英語だった。

 

――……文法、間違えてる……。

 

教えてやろうと口を開きかけた時。

葉月は躊躇した。

普段の葉月ならこうだろ?と教えてやることができるわけだが。

 

――……そんな権利ないよな………………俺がおまえを突き放したんだから……。

 

「……あ、そっか……ここを、こう……」

 

誰にも聞こえない程度の声で夏野は呟く。

何もできない夏野に心底歯痒くて。

夏野は背後の人物にはまったく気付いておらず、黙々と勉強していた。

 

「うん、できた!」

 

夏野は満足そうに微笑むが。

すぐさま、はぁーっと大きな溜息をついた。

 

「こんなんで満足してちゃダメなんだよね?……あーあ、なんでこんなアタマ悪いんだろう、わたし……」

 

夏野の成績は1年生の最初はそこそこだったものの。

元がいいのか、2年の3学期の期末では堂々と10位には入っていた。

 

――おまえがそんなに勉強しなくったって……。

 

葉月は夏野に背中を向けて本を探すフリをする。

いつだって努力する夏野が好きだった。

何にでも一生懸命で、途中で挫折することもなく。

そうやって努力して欲しいものを手に入れるんだから、喜びもひとしおなんだろう。

そんな時の夏野の笑顔を見るのが好きだった。

いたたまれなくなった葉月はぎゅっと目を瞑り心の中で夏野に謝罪し、その場を去った。

 

 

夏休み前の期末テスト。

外はいつの間にか知らないうちに梅雨が空け、ぎらぎらと太陽が地面を照りつける。

クラスの生徒がチャイムと同時に一斉にテスト用紙にかじりつく。

静かなクラスに響き渡る問題を解く音。

葉月も夏野が気になってしまい、結局5日間テスト中に眠ることなく終わった。

元気のない夏野。

それは葉月にも分かっていた。

それと同時に自分の所為だと。

歩けばとぼとぼと背を丸めて。

また友人に向ける笑顔も少なくなった気がしていた。

それでも葉月は。

それだけ勉強したんだから頑張れと。

口には出せずに応援するしかなかった。

 

 

 

「樋渡さん、テストの結果見に行かない?」

「あ、志穂ちゃん。 うん、行く行く!!」

 

精一杯、勉強はした。

でも悔いは無い。

内心ドキドキしながら順位表を見る。

 

『1位 樋渡夏野  498点』

 

「キャー!! 志穂ちゃん! 1位だって!!」

「すごいわ……! 樋渡さん頑張ってたものね」

「えーん! 嬉しいよぉ!」

 

葉月は順位表が張られている掲示板の前で喜んでいる夏野を優しく見た。

 

――謝りたい。

――そのきっかけもない。

――また。

――自分の中で整理がつかない。

 

――……本当にごめん。

 

まだ蟠りが解けない今、素直に褒めてやることのできない自分に苛立ちながら。

 

そして。

その日を境に夏野は学校に姿を見せなくなった。

 

 

 

 

 
「jealous dog ―scene 1」
20050610



調子に乗って続きます(笑)










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