昼も長くなり徐々に暖かさを増す近頃。
陽も先刻まで真っ青だった空を赤く燃やしながら。
山の端に半分隠れようとしていた。
屯所の裏に少し小高い丘があってそこに一本の桜の木が植わってる。
大きな枝垂桜の木。
非番の私は同じく非番だった山崎さんの部屋を出、ひとりこの木の下へと来ていた。
幹に触れ、見上げる。
桜たちが綺麗に私を見下ろしていた。
放射線を描き空から降りしきる雪のよう。
綺麗。
月に照らされる桜も幻想的。
でもこうして夕陽に照らされ赤みを帯びるのも。
「ああ、いいねぇ。 もうこんな時期なんだな」
吃驚して振り返ると近藤さんがゆっくりこちらへ向かってる所だった。
「近藤さん」
「夕桜、か……捨てたもんじゃないな」
「そうですね」
私の隣で同じように桜を見上げる近藤さん。
その横顔が何とも言えないくらい素敵で。
私は何も言えなくなるほど見惚れてしまっていた。
「ん? どうしたの?」
「い、いえっ! 何でもありません」
「ふふ……試衛館の庭にも桜の木があってね、よく夜桜なんかをかみさんと見てたもんさ」
ちょっとだけ。
ちょっとだけ痛かった胸。
そうだよね。
きっと桜は近藤さんにとって大事な大事な思い出があるのかもしれない。
私の知らない。
奥様との大事な思い出が。
「……すみません。 隣が私じゃ絵にならないですよね」
「え?」
「まだ夜はちょっと寒いから早めに屯所へ戻って下さいね。
失礼します」
頭を下げ、丘を下りようと近藤さんに背を向けたその時。
私の腕が近藤さんに。
掴まれた。
振り返れば。
近藤さんの真っ直ぐな鳶色の瞳が。
私の瞳と。
ぶつかった。
「なんで俺は局長なんだろう……なんで俺は近藤勇、なんだろう…………」
「……え?」
「時々……そう、思うんだよ…………そうでなかったらどんなにラクだったんだろうってね」
「…………近藤さん?」
私を見てくれてる今の近藤さんの瞳は。
微かに悲しいような、切ないような。
そんな色を湛えている。
眉を小さく顰めて。
そう思ったのは……見間違いなんだろうか……?
少し散り始めてる満開の桜の木の下。
余りにも似つかわしくなくて。
「もしかしたら…………俺は……きみを…………」
「こ……? うわ……っ」
突風のような風が吹き。
ざざぁっと葉と葉が、花弁と花弁が擦り合い共鳴する。
近藤さんは瞳を閉じて何かを話してる。
その音と靡いた枝に近藤さんの声と表情は遮られ。
言葉が私の耳に届くことはなかった。
「近藤さん……ごめんなさい、今なんて……」
枝につく桜の合間からようやく覗くことができた時には。
近藤さんは。
いつもの近藤さんで。
人懐っこい笑みを私にくれた。
「なんでもないさ」
「でも」
瞬間私の心臓は飛び跳ねる。
近藤さんの手が置かれた私の肩が熱く火照る。
「花弁がついたままでも可愛いけどね」
笑って髪についた桜の花弁を優しく取り除いてくれた。
でも今の私には。
手の届く範囲にいる近藤さんを目の当たりにして。
笑うなど。
そんな余裕はなかった。
ふと。
近藤さんがそのまま私の肩を引き寄せ。
私の首筋に。
顔を寄せる。
近藤さんの胸が。
私の鼻先数寸の所。
もう笑う余裕も。
何かを言葉にする余裕も。
何もかも今の私には存在しなかった。
「……いい匂いがするね」
「え?」
「きみ」
「………………? ……あ」
私はようやく意味を理解し。
「さっき山崎さんの部屋にお邪魔してたんです」
「……烝の? ………………あんま感心しねぇな」
「え? 何でですか?」
「仮にも烝は男だからねぇ。 きみはちょっと無防備だ」
私にとっての山崎さんは、先輩。
時々男の人という事を忘れそうになるけど。
ただそれだけの先輩。
なのに。
近藤さんは。
面白くなさそうな顔、してる。
「ヘンな事、されてない?」
「いっ、いえっ! とんでもないです! あの……山崎さんがいい匂い袋を手に入れたというので……それでしょうか?」
「そっか。 ああ、いい香りだね」
近藤さんは私を離し。
優しく瞳を細めた。
「きみは……桜みたいだな」
「え……」
「桃色に頬を染めて満開に咲くようにぱあっと笑って……誰をも魅了し、誰をも引き寄せ、誰をも喜ばせてる。
俺だけじゃなく」
「近藤さん……?」
「桜と違うのは散らないことかな」
笑って近藤さんは丘を下る。
私は近藤さんの背を見つめていた。
中腹まで下り私を振り返る。
「どうしたの? 行くよ」
その声で我に返り。
近藤さんを追うようにして枝垂桜を後にした。
近藤さん。
止めて下さい。
私。
私は。
貴方の事を想ってる。
打ち捨てなきゃいけない想いなんです。
なかった事にしなきゃいけない想いなんです。
優しくしないで下さい。
期待なんかさせないで下さい。
そんな笑顔見せないで下さい。
怒って下さい。
怒鳴って下さい。
嫌いだって言って下さい。
そうすれば。
私の想いだって。
こんな想い。
無くなる。
――なのに。
瞳をぎゅっと閉じ。
胸をぎゅっと掴み。
私は。
そうしてまた。
近藤さんの背を見ながら、自分の想いを。
噛み殺していた。
「夕桜」 |
20060719 |