そこは草原がどこまでも続いていた。
真っ青な空と目の覚めるような緑の大地。 その二色だけがとても眩しかった。
私は手を繋いで歩く。
他愛もない話をしながら。
時々その人を見上げれば。
私を見て笑顔で聴いていてくれていた。
太陽に背を向けて微笑むその人の髪が綺麗に光っていて。
目を細くせざるを得なかった。
もう何もかもが愛しくて仕方ない。
私が微笑んだ瞬間。
途端辺りは真っ暗になり、私たちは闇の中に立たされた。
周りには何もない。
直後、小さな悲鳴と何かを吐き出したかのような音が聞こえると、繋いでた手がぐんと後ろへと引っ張られた。
見れば。
勇さんの胸とお腹には数本の槍が突き刺さり。
異物と身体の境目からは真っ赤な液体がとめどなく溢れ出していた。
目を見開いて、何度も吐血する。
膝からがくりと落ちてその場に伏した。
手はまだ繋いでいた。
信じられない光景に震える体をなんとか動かし、慌てて跪き勇さんの名を呼んだ。
何度も、声が枯れるほど。
勇さんの顔はすでに血の気はなかった。
息も、していなかった。
何かが飛んでくる音がする。
飛んでくる、ではなかった。
それは落ちてきていた。
自分の頭上。
何百本、何千本、何万本もの槍が私と勇さん目掛けて落ちてきた。
槍の刃の傷ひとつひとつまでもが見えるほど眼前に迫った時。
そこで私はびくっと身体を震わせ目を開いた。
規則正しい天井の梁、障子の目。 そこから漏れる月明かり。
ようやく現実に引き戻されたと分かる。
聞こえるのは私の整わない息と早まる心音、鼻先に感じる体温に混じった鼓動。
はぁと自分を落ち着かせると、私の頭の下にあるのとがっちり回して離れない腰にある二本の腕が私を自分の方へと引き寄せた。
力強く。
鼻が潰れてしまうほどに。
「……どうしたのかな?」
「あ……ごめんなさい……起こしちゃったですか……?」
勇さんはこういう人だから、ちょっとした事でもすぐに起きてしまう。
全身緊張しながらの睡眠。
いつになったら深い眠りに誘われるのだろう。
「いや、眠り浅かったからね。 怖い夢でも見たの?」
「あ…………ちょっと……」
「何?」
「勇さんが……」
「俺?」
「勇さんが、いなくなっちゃう夢……」
のろのろと勇さんを見上げると。
彼はゆっくり笑って私をもう一度抱きしめた。
「俺、ここにいるからさ。 安心しなよ?」
「…………でも、いつか…………勇さんは私の前から消える時が来るんですよね……」
「……どうして?」
「だって…………もし…………平和な時が来たら、勇さんは帰る場所があるから……」
「……鈴花?」
「戦が終わったら……私勇さんのここにいる意味がないんです……そういう時代が来たら勇さんはちゃんと帰らなきゃ。
奥様とお嬢さんと幸せな生活に戻るんですから」
本当の事。
私は戦が終わったら身を引こうと思っている。
戦がなければ私は勇さんと一緒に羽ばたけない。
一生涯の恋人、なんて。
傍にいなきゃ意味がないんですよ、勇さん……。
「えへへ……私説得力がないですね。 勇さんとこうしているのに」
勇さんは相変わらず腕の力を緩めてくれない。
何も覆わないこの身体を。
勇さんと私との間には何も遮るものがない。
「……きみはどうするの?」
「私は…………どこかの田舎でのんびり暮らしますよ」
勇さんは緩めるどころか更に力を入れて。
「そしたらきみは……他の男と所帯を持つのかな?」
「………………え」
所帯……?
――考えたこと、なかった。
勇さん以外の人を好きになるなんて。
「子供も産んで、その男と幸せに後生を過ごすのかな?」
「ま、さか。 私はずっと……」
勇さんの幸せを思って一人で一生を過ごそうと思っていた。
誰に非難されようと、それが自分の女としての幸せでなくても。
勇さんとの思い出を胸に一生を終えるつもりでいた。
途端勇さんは私に覆い被さり。
部屋に入り込む月の薄明かりに照らされ、その顔が見える。
「俺さぁ、考えたくないんだ。 きみに旦那と呼ばれる男の事なんか」
「……勇さん……?」
「我侭なんだよな……俺は……ずっときみといたい。
鈴花には酷かもしれない……他の男を好きになるななんて……祝言もあげるななんて。 けど……きみは一生俺のものにしておきたい」
「勇さん……」
「世の中がいくら平和になったって俺は……いつでもきみの元にいるよ。
ちゃんと逢いに行く、毎日でも。 きみの恋人だから、俺は」
頷いてくれた。
私の目尻に一筋の涙が零れる。
私は勇さんを好きになってから涙脆くなっている、確実に。
慌てて横を向いて涙を拭おうとした。
「す、すみま……」
本当は、勇さんに見せたくない。
弱いって思わせたくない。
でも、勇さんはそれを許さなかった。
私の両手首を自身の両手で固定する。
「あ……あの」
「いいよ、泣いても」
「でも……」
「そういうきみも好きだって言っただろ?」
優しくて、嫌だ。
いつだって、そう。
足枷にならないよう、強くありたいのに。
私の女の部分を簡単に引き出す。
「嬉しいです……私今とっても幸せです。 勇さんにそう言われて………………でも……」
「でもじゃない」
「でも……ダメですよ…………私……」
「ダメじゃない」
「だって……ムリですよ……」
「ムリじゃないさ。 俺はきみに逢いに行く。 きみを傍に置く。
俺がそうしたいんだ」
私の頭を固定し、静かに口づけた。
にっこり笑う愛しい人。
それは、何も心配はいらないんだよと。
不安を払拭させる微笑み。
横になった勇さんは私の身体を引き寄せたまま、髪の毛を撫でてくれた。
私、貴方に言ったことあったかな?
勇さんに頭を撫でられるのが大好き。
安心して、落ち着いて。
子供みたいに甘えさせてくれるみたいで。
勇さんの隣にいるという事が一番よく実感できるから。
勇さんの胸に顔を添えた。
聴こえる。
感じる。
生きてる証。
僅かに早く打ち鳴らす心音。
心地のいい温かい肌。
見上げれば、ほら。
勇さんはたった今、こうして生きて私の傍にいる。
薄く茶がかかる、真っ直ぐな瞳も。
低く優しく、私の名を呼ぶ声も。
さらさらした、色素の薄い柔らかい髪も。
温かく逞しい、大きな胸も。
すらりと伸びる、力強い腕も。
勇さんの何もかもが。
私の手の届く場所にある。
そして、私のためだけの笑顔も。
もう何もいらない。
貴方の胸にずっといられれば、私は何もいらない。
一緒に、いましょう。
ずっと、ずっと一緒に。
流山の深い夜。
漆黒の闇に朧に光りあがる月。
「最後」の、勇さんは。
私を抱き寄せ。
耳に私の名前と告白を何度も囁き。
そんな勇さんに私は抱き返す事しかできなくて。
私達は一筋の月明かりが漏れる闇に。
再び、溶け合っていくのだった。
「夢語」 |
20051103 |