桜の花弁が六花の如く地に落ちる中。
月影がそれを明るく照らす。
もう月が山の端から顔を出してだいぶ経つ。
私はお風呂から出て湯冷めをしないよう温かくして外へ出た。
桜が散る季節。
早いな……。
今年に入って、もう三月――。
鳥羽伏見の戦から。
新選組にいた人たちが隊から離れていき。
または殉職し。
この世に生を受けている以上。
それを覚悟はしなければならない事だとは百も承知の上。
でも。
寂しくて、悲しくて。
そんな中。
江戸に上がって。
私は勇さんと、結ばれた――。
不謹慎だと、後ろめたさを感じながらも。
勇さんの全てが大好きで、勇さんの全てを知りたくて。
嬉しくて、愛しくて。
時に。
切なくて。
ふと。
家の裏の畑の向こう。
膝まで草の生い茂る畦道に。
色素の薄い髪が月に照らし出され白く浮きだっていた。
静かに近づいて見れば。
咥えてひとつ息を吸い込むと。
小さくむせ。
すぐさま白い息が吐き出される。
私は吃驚してその様子を見ていると。
私に気づいた。
「ん? ああ、きみか」
「勇さん…………煙草」
ははは、とひとつ笑い。
それはすぐに灰を落とされた。
「すっごく久しぶりだな、煙草。 つったって何年か前にトシに借りて吸っただけだけど。
やっぱ味とかよく分からねぇな」
勇さんは笑う。
だけどその笑顔は。
「どうしたの?」
優しい顔だけど。
やっぱりどこか。
無理、してる。
「勇さん……冷えます。 身体に障ります」
「ああ、ありがとう。 でももう少しこうしていたいんだ」
「………………」
「鈴花。 月が綺麗だね」
勇さんの見上げる月を私も一緒に見上げた。
いつも見る月と何ら変わらないのに。
何でだろう。
勇さんと見る月はいつもその表情が違う気がする。
そして。
今日は特に違う気にさえする。
「勇さん、戻りませんか?」
「いや、今日は呑んでるからね。 だから酔い覚まし、かな」
言って勇さんは自分の羽織を私の肩にかけてくれた。
「だ、大丈夫です! 全然寒くなんか……」
「風呂上りだろ? きみこそ冷えるよ」
大きい勇さんの羽織。
いつもの勇さんの匂いがする。
私の大好きな匂い。
「そろそろ……移動ですか?」
「ああ、まぁそんな感じだろうな」
すごく切羽詰ってる感じのする勇さん。
どうしたら。
どうしたら、いいんだろう。
「勇さん……もう一度家へ帰りませんか?」
「え?」
「今度は流山ですよね? そうしたらまた奥様やお嬢様と会えなくなる……せっかく江戸まで来たのに……」
「…………試衛館に、か……」
勇さんは私から再び月に目を向ける。
その横顔が何だか切なくて。
「奥様なら今の勇さんを癒してくれると思うんです」
「………………」
「ね? 勇さん」
勇さんは袂に腕を入れ。
「――俺はかみさんの事、大事に思ってる」
「………………はい」
「娘も産んでくれて」
小さく笑う。
その表情は。
「今も俺の代わりに女手ひとつで試衛館を守ってくれてる」
思い出した。
前に京で勇さんの部屋にお茶を持って行った時。
勇さんは奥様に手紙を書いていた。
その姿に何故か落胆はしなかった。
その時と、同じ。
「…………私、奥様の話をしてる時の勇さんの表情、好きです」
「……?」
勇さんは怪訝そうな顔で私を見た。
「すごく優しくて、本当に奥様の事愛してるんだなって。
私の知らない勇さんを知るようで、私すごく嬉しいです」
「鈴花……」
「私は奥様と同じ土台に立つ事はありません。 奥様は勇さんにとって一番の特別な人ですもん。
勇さんと奥様は今は離れ離れになっているけど、信じ合えているのはそれは二人がとても固い絆で結ばれてて……」
「………………」
「私には勇さんと結ばれるとか勇さんの子供を産んだりとか、そういう幸せを勇さんに与える事はできません」
「…………鈴花」
「だから勇さんを守りたい。 それだけしか私には出来る事がないから」
ああ、と。
勇さんは困ったように髪を掻いた。
あ……れ?
ヘ、ヘンな事言っちゃった、かな……。
「――きみは最初困惑気味に入隊して、そしてどんどん頼もしくなってきて……いつしかきみは恋する女の顔になって」
「え……」
「その顔は誰のためだって思ってた…………それと同時にそれはきっと俺じゃないってのも思ってた」
「勇さん…………」
「きみの気持ちは誰かのためであって、俺にはかみさんも娘もいる…………何度、諦めようと思ったんだろうね。
苦しかった」
笑いながら。
眉間に皺を寄せ。
勇さんは続ける。
「無理だったよ、きみを忘れる事なんか。 寧ろ想いは強くなって」
「………………」
「きみと通じ合って…………」
組んだ腕を解いて。
勇さんは深い草を掻き分けながら私に近づいた。
「……きみは不安だったかい? 俺がきみに“夫になれない”って言った事――」
「え……そ、そんな……」
「俺達は一生結ばれないって、俺達には確かなものはないって……」
「それは……それは勇さんには離れられない奥様がいて……」
少し屈んで。
私の右手を取った。
「どうしてだろうね……」
「え?」
「かみさんを大事に思ってる。 離れてても全然平気なのに……」
「……勇さ」
「駄目だって分かってるのに……俺には家族もいるってのに…………少しでも離れたら必ず思い出すのは、きみなんだ」
月影を背に。
舞い落ちる花弁に纏われながら。
「顔も声も、全てを思い出して逢いたくなる。 逢えたら今度はこの手を――」
私の手を。
自分の頬に寄せ。
「きみを離すまいと心に誓うんだ」
目を閉じて。
ぎゅっと私の手を握った。
「世界中の誰もが俺を否定しても……もう俺は止まらない…………誰も俺を止められないんだ」
勇さんの手が温かい。
勇さんの頬が温かい。
――ずっと。
ずっと感じていたい。
「俺を守りたい?」
「……はい。 勇さんを、勇さんの背を守りたい」
「……ふふ、そっか」
「はい。 私達が……私も土方さんもいます。 だから……」
「嬉しいけど、でもそれだけじゃ、ねぇ」
「え……?」
勇さんはにやっと笑って。
「愛も必要なんだけどねぇ」
「え?」
「愛だよ。 俺の事もっと愛してもらいたいんだよねぇ」
勇さんの言ってる事が。
暫く頭に浸透しなかった。
「あ、愛……」
「そ」
「あ、あの……奥様なら勇さんの事いつでも……」
「かみさんの話じゃなくて。 ああ、きみは相変わらずだねぇ、ホント」
「だって……」
勇さんは大きく溜息をついて。
「きみの話、なんだけど?」
「ちゃ、茶化さないで下さいっ!!」
「茶化してなんかいないさ」
私の手を握ったまま離さない。
「かみさんの事は抜きにして、俺をただの一人の男と思って」
「勇さん……」
「俺の事、どう思ってる?」
「え……」
「ほら、俺の事」
急かされて。
私はどうにも慣れないその言葉をようやく口にする。
「す……好きです……」
「本当に?」
「は、はい……誰よりも勇さんを……」
途端私の身体が持ち上がる。
「きゃあっ!」
勇さんの匂いが強くなる。
勇さんを見下ろせる位置。
私は勇さんの逞しい腕に抱えられていた。
「じゃ、その証見せて」
「そ、それって……」
「きみからしてもらった事ないよね、そう言えば」
「お、下ろして下さいっ!!」
「ほら、何もできないだろ」
足をばたつかせても下ろしてくれない。
肩を叩いても下ろしてくれない。
暫く勇さんと目を合わせ。
高鳴る心臓を叱咤して。
目を閉じるようお願いして。
“仕方のない娘だね”と溜息をつき笑って目を閉じた勇さんの形のいい唇に、私のを合わせた。
小さく音が鳴ると唇を離し。
目を開けた二人の目が合うと。
すぐさま。
「ん……っ」
再び唇を合わせた。
何度も角度を変えた濃厚なそれ。
お風呂上りでまだ肌寒い筈の季節の夜に。
私は全然寒さを感じる事はなく。
かえって体温は上昇し。
身体が火照る中、ようやく唇が開放された。
「……きみは凄いな」
「え? な、何でですか?」
「こんな俺を虜にするなんて、きみは凄いと思うぜ?」
「そ、そんな……」
「……家には戻らないよ」
「え……」
「俺の考えてる事はそんな事じゃない。 新選組を………………きみをどう守るかだ」
「勇さん……」
「家に戻る時間が惜しいくらい、俺はきみの傍にいたいんだ」
勇さんは私の胸に顔を埋め。
「こんな俺の言う事なんか信じてもらえないかもしれない……けどね、結ばれないとか確かなものはないって事はないぜ?」
「……?」
「俺自身だよ」
「え……」
「俺のこの気持ちは確かだし偽りはないし、一生きみと結ばれてる。
………………鈴花。 俺はきみを愛しく思ってる」
その言葉に。
何度も聞いてる筈のその言葉に。
何故か。
涙が出そうになった。
「きみを独りにするつもりはないよ。 独りになったら俺はきみと一緒にいる事を選択するだろうね。
でも俺が独りになったら――」
「…………いさ」
その表情は。
伺えなかった。
「……ふふ、さぁもう戻ろうか。 今夜もきみを抱いて心地よく眠ろうかな。
いい夢が見れそうだ」
「月影」 |
20071021 |