「はぁっ……はぁっ……」
息がうまく出来ない。
汗も目に入ってくる。
斬っても斬っても。
もう少しという所だったのに。
甲府が官軍に制圧されてるなんて。
悔しくて、刀を持つ手に力が入る。
ここ勝沼には真っ赤な血が流れていた。
そこは官軍のものも。
だけど殆どが鎮撫隊のもの。
士気も下がって。
新しい武器も扱えきれなくて。
誰がどう見ても、こちらの不利。
それでもこうして剣を振り翳せば、見事に敵は倒れてくれる。
でも。
斬っても、斬っても。
「敵が……減らない……」
周りを見れば鎮撫隊も春日隊も。
刀を持つ人は、皆頑張ってる。
疲れは、明らか。
そのうち、撤退の伝令。
私は唇を噛んだ。
ここまでなの……?
悔しい。
悔しい。
悔しすぎて流れそうになる涙を堪えて。
こんな所で死んでなんかいられないと。
力の入らない脚を一度、叩いて。
東へと向かう。
撤退し始める隊士たち。
私は探す。
「近藤さーん!」
至る所で大砲の音。
官軍の士気を高める声。
私の声など、響かない。
「近藤さーん! 近藤さーん!!」
いくら呼んでも。
返事は、なかった。
「近藤さーん!!」
「桜庭!!」
振り返った。
永倉さんだった。
「永倉さん! 無事だったんですね!」
「早くオレについて来い!」
「え? でも近藤さんを……」
「近藤さんからの命令なんだよ! オメーを見つけて江戸へ行けってな!」
勇さん。
私を永倉さんに託してくれたんだ。
でも。
「永倉さん、ごめんなさい……! 私近藤さんを置いては……」
「近藤さんだって、ちゃんと向かってる! 安心しろ!」
「でも、あんな身体じゃ……」
「じゃあ、山へ向かえ! もう近藤さんは江戸へ向かってるぜ!」
江戸へ向かう山中。
人の歩く道と言うには相応しくない、獣道。
顔にも腕にも枝で切った傷跡。
周りには、誰もいない。
こんな所を通っても。
勇さんには逢えないんじゃないかと思い。
立ち止まった。
荒れた呼吸を整え。
着物の袖で汗を拭って。
耳を澄ます。
声も音もしない。
人の気配も、ない。
この道を来て、失敗したかな……。
それでも、何とか江戸へ出ないと。
その時。
ガサッと茂みが音を立て、揺れ。
「動くな!!」
「!!」
咄嗟に刀を構えて見ると。
「な……! きみか……!」
「い……!!」
勇さんだった。
息を大きく吐いて、力が抜ける。
安堵した。
「よかった……! 無事だったんですね!」
「まぁ、何とかね。 きみは? 永倉君とは会えなかったのかい?」
「いえ、会えました」
「一緒じゃなかったのか? …………!」
「…………!」
勇さんも私も。
不穏な雰囲気に動きが止まる。
「鈴花、こっちだ!」
「!!」
茂みの中に隠れた。
私は勇さんの腕の中で。
「い……」
「シッ!」
「…………!!」
「このままでいるんだぜ?」
その腕の中で。
息を潜めた。
葉の間から見たそれは
新政府軍の服。
数は、二人か。
「こっちで声がしなかったか?」
「ああ」
「ちっ……逃げちまったか?」
「よし、追うぞ!」
二人はその場から去る。
瞬間。
私を抱く腕に力が入った。
私の肩が痛くなるほど。
「…………うぅ……っ!」
「………………!」
「……暫く、このままで……いてくれ……」
顔を上げれば青白い顔。
唇を噛み、眉間に皺を寄せ。
ぎゅっと目を閉じる勇さん。
肩が痛むんだ、勇さん……。
何で。
何で私が被弾しなかったんだろう……。
できるなら。
代わってやりたい……!
「……鈴花、このままで聞くんだ……」
「………………?」
「きみは誰の気配もなくなったらここから出て行くんだ。
そして永倉君でも原田君でも誰でもいい……新選組のヤツに会ったらそいつと江戸まで出るんだ」
「え……」
「いいね?」
勇さんは私を抱いてた肩を離し。
その場に蹲る。
「い、いやです……っ! 勇さんを置いて行くなど……!」
「いや、そうしてくれ。 頼む」
「い、勇さんは……」
「後から俺も江戸まで行くさ」
「いやです……!」
「鈴花……分かってくれ………………今の俺じゃきみを連れては……」
「それでも…………んんっ!」
勇さんは私の後頭部を持ち、引き寄せる。
一瞬だけ。
合わされた唇。
離された後私は目を見開いた。
今生の。
別れの様な、それ。
汗と顔の擦り傷に滲んだ血を拭ってくれて。
「……ちゃんときみの元まで行く。 約束する」
勇さんは私の背を押した。
「今なら……行ける」
「……勇さんが襲われたりしたらどうするんですか!?」
「まぁ何とかなるさ。 刀が使えなくとも体術くらいなら少しは会得してる」
勇さんは自嘲気味に笑って。
「情けない話だが、俺にはきみを守れるかどうかの保証ができないんだよ。
俺はきみをこんな形で失いたくない」
「それは私も同じです! 勇さんを失いたくない!!
勇さん……私が勇さんの刀となります」
「……鈴花……?」
その手を取って。
胸の前に抱いた。
「私が勇さんの刀となり、盾となり江戸までご一緒します」
「鈴花…………」
見開いてた瞳は。
徐々に細まり。
私の手をぎゅっと握った。
「馬鹿だね。 盾になんかさせないさ」
勇さんは立ち上がって。
私の手首をそのまま掴んで立たせた。
「……一緒に行こうか」
「はい……!」
「まだまだ生きるぜ、俺達」
「はいっ!」
左右を確認し。
私達は茂みを出て。
江戸への道を走る。
斜め前を走る勇さんを心配しながらも。
どこかに官軍がいるんじゃないかと辺りの安全を確認しながらも。
それでも数は圧倒的に向こうが上で。
完全に見つからずに撤退するのは不可能なことで。
目の前に立ちはだかる新政府軍。
相手は二人。
勇さんは刀を構えるけど。
その前に私が立つ。
「鈴……!」
勇さんが制する前に。
相手の刀と私の刀。
刀身同士がぶつかる音が山に響いた。
力は向こうが上かもしれない。
けれど、技量だけなら私も負けない。
二人だろうと三人だろうと。
数は関係ない。
それだけの修羅場は越えてきた。
勇さんを護るためなら――!
相手が振り被るのを見逃さず。
その一瞬。
私は相手の脇を斬った。
血飛沫が飛ぶ。
「ぎゃああ……っ!!」
断末魔を上げながら、倒れるひとりを放ってもう一人。
すかさず刀を相手に向ければ。
それは勇さんの前で倒れていた。
息はもうしていない。
「勇さん、大丈夫ですか!?」
“ああ、これくらいの相手なら”と勇さんは刀の血を振り払って。
傍まで来る。
「あーあ……俺のならともかくあんな男の返り血なんか浴びて〜」
「勇さんの返り血の方がもっと嫌です」
「やっぱりきみの腕はなかなかだな」
勇さんは笑いながら。
私の頬を撫でて。
「鈴花」
「はい」
「帰ったら俺が返り血を洗い流してあげよう。 だからそれまで辛抱だぜ」
「……はい!!」
勇さん。
一緒に、江戸へ帰りましょう。
その先は、まだいろいろな事があるかもしれない。
でも、ひとつずつ乗り越えましょう。
どんな時でも。
邪魔にならないよう。
迷惑にならないよう。
私は。
貴方の傍にいます――。
「逃走」 |
20110725 |