また桜の舞い散る季節がやってくる。
だんだん暖かくなり始めて、心も浮かれ始めるこの季節に。
永倉さんと原田さんが新選組を抜けた。
止めない近藤さんに私は意見したけど。
それは二人の事を思っての事で。
土方さんになだめられた。
でも……近藤さんはだいぶ落ち込んでる状態で。
肩の状態も思わしくなくて。
見ていて辛かった。
もう……主力のいない新選組。
数年前まではあんなに屯所で楽しくしてた仲間。
面倒見のよかった永倉さん。
最初怖かった原田さん。
とても優しかった山南さん。
剣術を教えてくれた平助くん。
美味しいお店によく連れてってくれた山崎さん。
……沖田さんも病床に臥してて。
その頃の仲間は……もう数人しかいない。
今近藤さんのお薬が届いた。
早く届けなきゃと思って。
私は屯所の縁側の廊下を小走りする。
「桜庭、ちょっといいか?」
「うわぉっ! は、はい!?」
吃驚して急停止する。
呼び止めたのは斎藤さんだった。
「近藤さんの薬か……?」
「ええ、そうです。 斎藤さんも……大変ですね」
「……ああ」
普段から無口な斎藤さん。
原田さん同様、最初ちょっと近寄りがたかった。
でも。
こうして新選組に身を寄せていると。
斎藤さんはとても優しくて真っ直ぐな人だって事が分かる。
「……明日から……会津、ですか……?」
「ああ……そうだな」
斎藤さんまでもがここを出る。
胸にぽっかり穴が開いたようで。
私は庭を見ながら、小さく溜息をついた。
「桜庭」
「はい?」
「一緒に……会津へ行かないか?」
「え?」
斎藤さんは私の瞳を見て。
「俺と、一緒に会津へ行こう」
「斎藤さん……」
「おまえを……連れて行きたい」
「どうして、ですか……?」
瞬間私の身体は前へ引き寄せられ。
視界を遮られ。
止まった思考をようやく動かした時に。
私は斎藤さんに抱き締められてる事に気づいた。
「さ……」
慌てて身を離そうとする。
でもそれ以上に斎藤さんの腕に力が入り。
私が動くのを許さなかった。
「俺は……おまえが好きだ」
「え……?」
「おまえと……一緒にいたい」
突然の告白。
私は抵抗するのを忘れていたほど。
固まってた。
「おまえさえよければ、連れて行きたい」
斎藤さんは私の額に口づけた。
瞼に。
鼻に。
頬に。
……いや。
斎藤さん……。
ごめんなさい…………。
私……。
私には……。
もう……。
何とか抵抗しようとする。
けれど。
その力には敵わなくて。
無理矢理顎を上に持ち上げられ。
斎藤さんの顔が近づいてきた。
その時。
「ああ斎藤く〜ん、そういう事は昼間っからこんなトコでするもんじゃないぜ〜?」
一番、見られたくなかった。
私にその気がなくても。
近藤さんは。
怒る事もなく。
無視する事もなく。
笑って。
私達の傍を通り過ぎる。
「こ……!」
斎藤さんから離れ。
近藤さんの元へ走ろうとする。
でも。
近藤さんは廊下の角を曲がり。
見えなくなってしまった。
いつまでも、見ていた。
また……来てくれるんじゃないかって。
私は角から目を離せず。
斎藤さんに背を向けた状態で。
「斎藤、さん……」
「……桜庭」
「ごめんなさい……私…………あなたと一緒に会津へ行けません……」
「………………」
「近藤さんを……一人にして行けません……」
私の背後で息をついた斎藤さん。
「……知ってた。 おまえが近藤さんを想ってたのを」
「え……?」
「ずっと……おまえは近藤さんを見てた。 俺はおまえが好きだったから……知ってたんだ」
「斎藤さん……」
「近藤さんもおまえを見る目が違ってきてたの、知ってる」
斎藤さんは私の頭の上に手を乗せ。
「すまなかった……おまえのいた新選組…………居心地はよかった」
「私も……斎藤さんに出会えて……よ、かった……です」
「俺はまたここへ帰ってくる。 その時まで……おまえは生きろよ」
止まらない涙。
斎藤さんの優しさが痛かった。
「行ってやれ、近藤さんの元へ」
「はい……失礼します」
深々頭を下げ。
近藤さんの後を追った。
ごめんなさい、斎藤さん。
斎藤さんの気持ち、とても嬉しかった。
でも。
でも、私は。
近藤さんを見ていたい。
近藤さんの傍にいたいんです。
だからその気持ちに応える事はできません。
近藤さんだから。
近藤さんがいるから。
私はここにいるんです。
「近藤さん! 近藤さん!!」
近藤さんの部屋の前で叫んだ。
暫くして。
部屋の中から声が聴こえてきた。
「なんだいなんだい、騒々しいね」
「お願い、です……中に入れてください……」
襖が開き。
近藤さんが現れた。
「一体どうしたのさ? まぁ中に入りなよ」
近藤さんは私を中に入れてくれて。
障子を開けた外に向かって座り。
剣の手入れをしてたんだろう。
打粉を持ち。
刀身を叩き始めた。
私は部屋の隅に座り。
近藤さんを見ていた。
広い背中。
今は……突き放されてるみたいで。
「あ……あの…………近藤さん」
「ん?」
「お、こって……ますよね……?」
はは、と笑った近藤さん。
「永倉君も原田君も新選組を出て行っちまった。 そろそろ俺も年貢の納め時ってヤツだ。
もうついて来なくったっていいんだぜ?」
「え……?」
「見限っていいんだってコトよ。 俺じゃ……もうこの新選組の局長も務まらないってワケさ」
近藤さんは私に向き直って。
「会津、行きなよ。 斎藤君となら……俺も安心できる。 ちゃんときみを預けられる。
斎藤君は強いからね、俺より頼もしいから」
何を言ってるのか……分からなかった。
「俺について来る意味が、もうないのさ」
近藤さんが。
私を、突き放してる。
もうここにいなくてもいいと。
斎藤さんと一緒に会津へ行けと。
「イ……ヤ…………」
「どうしたの?」
「イヤです……どうして…………そんな事言うんですか!? 私はずっと近藤さんの傍にいると誓いました!
ずっと、ずっと!!」
「………………」
「……もう…………私はいらないんですか……? 近藤さんの傍に置いてもらえないんですか?」
「……花」
「私は……ずっと近藤さんの傍にいたい! 近藤さんが私の事を嫌いでもいいです!
嫌われても……私は近藤さんの傍にいます!」
近藤さんはずっと私の話を聞いててくれた。
でもその表情はよく分からない。
涙の膜で、よく見えない。
沈黙が続く。
近藤さんは手に持ってた打粉を置いた。
「……おいで」
「……え?」
近藤さんは自分の膝を叩き。
ここへ来いと。
「あの……傍に行っても…………いいんですか……?」
「いいからおいで」
おずおずと近藤さんの近くへ寄る。
あんな場面を見られたのだから。
怒られるのを覚悟で。
かしこまろうと座りかけたところ。
勢いよく腕を引っ張られ。
近藤さんの胸に吸い込まれた。
耳元で囁く。
力強い、声。
「“嫌いでも”なんて二度と言うんじゃねぇぜ……嫌いになんかなれるワケねぇんだからな」
「こん……」
「……斎藤君、断ったのかい?」
「……はい。 私は……ここにいると」
「……おかえり」
「え……?」
「おかえり」
「俺のトコに戻ってきてくれてありがとう」と。
近藤さんは力強く抱き締めてくれた。
近藤さんの、腕の中。
とても気持ちがいい。
大好きな匂いに包まれて。
大好きな腕に包まれて。
離れられない、と。
改めて思う。
「俺の胸中穏やかだと思ったかい?」
「え?」
「殴ってやりたかったさ、斎藤君の事。 でも……きみの事を考えたら斎藤君と一緒に会津へ行くのが一番だと考えたんだ。
俺の傍にいても辛いだけだし、これから先きっともっと大変な生活になるだろうし。
でも斎藤君と一緒なら……彼の刀の腕は一流だから守ってくれるし、彼はきみの事を好いてくれてる。
安心して送り出せると思ったんだ」
「………………」
「好きだから……俺はきみの事を好きだから…………だからきみの幸せを考えたら、と思ってたんだけど……」
「……そんな」
「やっぱりそんなのムリだ。 きみに斎藤君と一緒になんて……俺は……」
「近藤さん……」
「……離したくない。 俺とともにこの運命を、一緒に歩んで欲しいって……思った」
近藤さんの心音が早まった気がした。
「それにしても」と。
近藤さんが落胆の色を込めて。
大きな溜息をついた。
「あんなトコ見たくなかったなぁ……さすがに落ち込むぜ」
「だ、大丈夫ですからっ! 全然唇は触れてないですし!!」
途端大きな声を上げて笑う。
それが止んだかと思ったら。
軽く。
私に口づけしてくれた。
「ココは俺だけ、だよな?」
私は大きく頷いた。
「近藤さん……私の幸せは会津へ行く事じゃありません。 ずっと近藤さんの傍にいる事が幸せなんです」
「鈴花……」
「だから早く……良くなる様に私、祈ってますから。 早く近藤さんの、剣を見たいです。
派手さはないけど基本に忠実で迫力があって……そんな近藤さんの剣が一番好きです」
「嬉しいな……じゃあ、早く治してきみに見せてあげるよ」
「本当に?」
「ああ、本当さ」
近藤さんは優しく目を細め。
「しかしきみはホント慣れないみたいだねぇ、俺の名前」
「あ……」
「罰則制にしようか? 上の名前で呼んだら罰則」
「な、何の罰則でしょうか……?」
「ふっふっふ……ナイショ」
不敵に笑う近藤さん。
自分の身に何が起こるのか。
怖いからちゃんと下の名前で呼ぼうと決意した。
……――近藤さん。
私、どこへも行きません。
私、ここにずっといます。
一緒に羽ばたくと約束したじゃないですか。
その約束、ずっと有効ですよ。
絶対一人にはしません。
新選組の隊士が誰一人いなくなっても。
私が死ぬ事があっても。
絶対。
一人にはさせません。
だから、いつか見せてください。
近藤さんの剣を。
「恋慕」 |
20051026 |