夜に起き出す街。
こんな夜中でも昼のように賑わう。
男と女が一夜の出会いを求めて集まる此処。
ご無沙汰だった。
本当はそんな気にもならなかったけど。
最近はずっと目まぐるしい日々が続いていた為か。
時間潰しと気休め程度に遊郭へ来ていた。
確かにいい女が沢山いるけど。
それでも本気で惚れ込むような女はいない。
それは昔から。
ふと、視界の隅にかすかに過ぎる。
よく見る格好の人間。
こんな人込みの中でもすぐに気付く。
「桜庭君?」
「あ、近藤さん!」
「なんでこんなトコに……」
流石に男装はしていても女の子だ。
やっぱり不似合いにも程がある。
「沖田さんの薬を貰って来たので……今島田さんが看てくれてますが、早く代わってあげないとと思って。
で、近道しようとしたらここに出てきちゃって……」
何年も京に住んでるのに相変わらず方向音痴なんだな。
俺は少し笑って。
「丁度よかった。 じゃあ、少し時間あるよな?」
「え? あ、はい……」
「今から俺に付き合いなよ」
「へ?」
「俺行きつけの揚屋。 きみも来いよ」
「は、はい!?」
かなり吃驚したんだろう。
とんでもない声が頭の天辺から発せられた。
「い、いえっ、私が行っても……」
「いいじゃない、俺もいるんだしさ。 きみも少し癒されなよ」
彼女の手を引いて太夫のいる揚屋まで連れて行く。
部屋に通され、太夫が何人も集まって出迎えた。
「いらっしゃいませ、近藤様」
「みんな待っててくれたの? ごめんね〜、全然ここにも来なくて」
「近藤様がいらっしゃらなくて、私も寂しゅうございました」
「深雪太夫」
俺は手に持ってた包みを深雪に差し出した。
「これね、この間見つけてきみに合うなと思って買ってきたんだ」
「まぁ……とても素敵なお着物……深雪は幸せでございます」
そこで桜庭君を見れば。
すっごく細い目で俺を見てる。
うぇ……呆れてるな、こりゃあ。
深雪が彼女に気づき。
「…………そちらのお方は……?」
「あ、桜庭君かい?」
「素敵な剣士様でいらっしゃいますのね」
「彼女は女だよ?」
深雪はひどく驚いたようで。
「まぁ……女性の方ですか? あまりにも端正なお顔でいらっしゃるからつい殿方かと……失礼致しました」
「あ、いえ……」
俺はそこで前に彼女が言ってたのを思い出した。
機会があったら是非一度拝めたいと。
「ああ、そう言えば桜庭君は踊りができるんだよねぇ?」
「なっ……! なんてこと言うんですかっ、こんなトコで……っ」
「まぁ、舞を? では一指し舞っていただけませんこと?」
「い、いえっ! 私にはちょっとムリですっ、こんな姿ですし……」
深雪はニッコリ笑って桜庭君の言葉を制した。
「ここに今頂いたお着物がございますので、これを着て舞って下さいまし」
「えっ、あ、あのっ、近藤さん!」
「さぁ、こちらへどうぞ」
有無を言わさず、桜庭君は深雪に連れられ部屋から出る。
前に、たしなみ程度に習ってたと。
でもここ何年も踊ってないと聞いてたから。
踊りに関しては正直そんなに期待もしてない。
ただ……ただ舞う彼女を見れればいい。
確かに俺もここに何度も通ってたから目は肥えてる。
でも。
上手い下手なんて俺には全然関係ない。
いつも刀を差して血塗れの世界にいるきみの艶姿が見れればいいんだ。
屯所じゃ踊れない、と少し落胆した覚えがある。
どんなきみになってるんだろうな……。
「さ、近藤様」
深雪が部屋に入る。
「とても素敵におなりでしてよ」
「そうなのかい? それは楽しみだね」
「ふふふ、では桜庭様……」
その後に次いで静かに彼女が入ってくる。
息を飲む、自分がいた。
俺が深雪に渡した着物を纏い。
薄く化粧も施され。
緊張してるのか歩き方はぎこちなかったけど。
それでも全然俺を釘付けにする理由には十分なってる。
その場にかしこまり一つお辞儀をすると。
彼女は三味線の音色に合わせ、扇子を持ち舞を踊る。
それは。
とても優雅で。
とても艶やかで。
とても繊細な舞だった。
綺麗なその手先も。
伏し目がちにしたその瞳も。
少し半開きになった紅を引いたその唇も。
全てが俺の中に入ってくる。
それは一気に。
押し寄せる波のように。
俺は。
酒を呑むのも忘れてた。
瞬きするのも忘れてた。
呼吸をするのすら忘れかけていた。
その時の俺にできた事は、彼女だけを。
彼女だけを見るように。
彼女だけを忘れないように。
俺はその姿を脳裏に焼き付けることだけだった。
「……近藤さん?」
「………………」
「近藤さん」
「………………」
「近藤さん!!」
「ほぁっ!?」
自分でも情けない声が出てきた。
「ふふふ、近藤様は桜庭様の舞に魅了されているのですわ。 さあ、桜庭様、近藤様にお酌をお願いできませんこと?」
気がつけば舞も終わってて。
俺の手に持ってた筈の猪口の中身は着物の裾を濡らし、その真ん中に猪口が横たわっていた。
桜庭君は手拭いで着物に染み込んだ酒を拭き取り、その猪口を手に取って俺の手に再び持たす。
慣れない手付きで酒を注ぐ。
「こ、近藤さん……すみませんでした……せっかくの揚屋で私みたいのが……」
すでに落ち込んでる彼女。
「ち、違うんだ。 いや……よかったよ」
思考回路が全く動かない俺にはそれしか言ってやることができなかった。
『綺麗だった』
この一言だけでも。
言わなきゃいけない言葉を。
俺には、今の俺には。
言わなかったんじゃない。
言えなかったんだ。
「私……そろそろ戻りますね」
徳利の中の最後の酒を注がれて桜庭君は席を立つ。
「あ、桜庭君……」
「近藤さんはゆっくりして下さいね」
障子を開け出ようとする。
「待ってくれ」
「え?」
「……俺も、帰る」
「近藤さん、ムリして出なくてもよかったんですよ? 近藤さん、最近忙しいのに……ここは癒しの場所ですよね?」
「………………」
揚屋を出て、暫く歩く。
化粧していた顔は出る前に落としてきたのだろう。
「近藤さん、大丈夫ですか……? 本当にすみません……私なんかが舞なんか…………太夫さんの舞とかの方が全然素敵なのに………………怒ってますか?」
俺があまりにも無言だったためか。
俺が怒ってるように見えたのだろう。
上目がちに彼女は謝る。
「本当に違うんだ……全然怒ってなんかないさ」
怒るなんてことあるはずない。
でも、俺には本当に何も言えなかったんだ。
言葉なんかでは言えないほど。
……俺は感動しちまったんだから。
「もしかして……熱とかあります?」
言って桜庭君は俺の額に手を添える。
とても近い桜庭君の顔。
それだけでも……動悸が強まる。
「大丈夫、ですかねぇ……」
「さ、桜庭君……もう、いいよ」
「あ……はい、すみません……」
何度俺はこの娘に謝らせるのだろう。
ごめん、そんなつもりは全然ないんだ。
「では……私はそろそろ……沖田さんの所に戻りますね」
頭を下げ俺から離れていく。
「桜庭君」
「はい」
一度俺に背を向けた彼女が振り向く。
「……送ってくよ」
「え? あ、いいですよ、もう近いでしょうし……」
「いや……送らせてくれ」
「……近藤さん……?」
特に何も話さず総司の所まで彼女を送る。
何でもない。
何でもないこと。
いつもならちゃんと褒めてやれること。
恥じらいも何もなく。
ただ普通に。
でも、出来なかった。
今も彼女が悲しい顔してるのに。
何もできやしない。
俺は……こんなに意気地のない男だったのだろうか?
あまりにも……きみが綺麗だったからなんて……。
たったそれだけの事が言えねぇなんて……誰にも言えやしねぇ……。
「近藤さん、ここですよ」
「あ……」
いつの間にか総司の寝所まで来ていた。
俺たちの屯所とは少し離れている所。
きみは今日も寝ずに総司についてやるんだろう。
総司には悪ぃが。
それすらも妬ましいかもしれない。
「本当にありがとうございました。 近藤さんも気をつけて下さいね」
「ああ、おやすみ……」
俺達は別れる。
一人屯所までの道を歩く。
彼女が舞を踊ってる間も。
俺の隣で酌してる間も。
俺の鼓動が早まってる事なんて知らなかったろ?
あの場所で。
誰にもあんな姿を見せたくなくて。
俺だけの物にしたくて。
すぐにでもきみを抱き締めたかった事なんて。
俺は自分の胸倉を掴む。
心が固まった。
確信した。
俺は……彼女が好きだ。
誰よりも。
この想いは誰にも負けない。
どの男よりも。
誰にもあんな彼女を見せたくない。
俺だけの物にしたい。
そしてもう二度と遊郭へ行く事はないだろう。
二度と深雪にも他の太夫や芸妓にも会う事はないだろう。
だから。
この先、ずっと、ずっと、ずっと。
きみだけを想わせてくれ。
「舞姫」 |
20050531 |