きっとそのうち雪に変わるだろう。
朝からの雨。
降り止もうとしない雨。
体を切り裂いてしまうような冷たい雨。
――おまえは……俺なのか?
「近藤さん、お茶をどうぞ」
「ああ、すまないねぇ……折角だから貰うよ」
もうこれで何度目だろう。
きみの顔を見ないで話すのは。
彼女が休憩所にいる隊士にお茶を配ってた。
たまたまそこに居合わせた俺も例外なく。
彼女に向ける背。
心のない言葉。
知ってるんだ。
俺がそうすれば。
きみは俺の背中を見ながら悲しい顔をする。
泣きそうに。
傷ついて。
唇を噛み締めて。
服の裾を握り締めて。
俺は最低だ。
知っててそうしてるんだ。
俺は、
男として……人間として最低だった。
『桜庭君が好きだ』と。
気付いてからどのくらい日が経っているんだろう。
昨日の事のように。
芽生えた気持ちをまだ覚えてる。
ずっと前からのように。
想いが増大している。
誰にも渡したくない。
俺しか知らない彼女を見たい。
気付いたときには本当に幸せな気分だった。
はずなのに。
それと同時に。
もう一つ気付いてしまったことがあった。
俺は彼女にどう接すればいいのか分からない。
俺は局長。
彼女は隊士。
俺は妻子持ち。
彼女は。
俺は。
彼女は……。
俺は……。
考えれば考えるほど、深みにハマって。
どうしようもなくなる。
彼女は撃たれた俺を看病してくれていた。
献身的に。
ずっと俺の傍にいてくれた。
時には汚れた包帯を替えながら。
時には世間話をしながら。
時には風呂に入れない俺の身体を拭きながら。
泣かなくなった彼女はずっと微笑んでいてくれた。
俺は本当に嬉しかった。
ずっとこのままでもいいとさえ思った。
でも……。
日が経つにつれて彼女の笑顔が直視できなくなっていた。
俺の中に彼女がもっともっと入ってくるのならば。
俺は……無理矢理にでも彼女をモノにしてしまうかもしれない。
想いを口にしてしまえば、強引に抱き締めてしまうかもしれない。
鎖のように身体にまとわりついている、俺の足枷になってるいろんなモノを引き千切れば……きみをめちゃくちゃにしてしまうかもしれない。
……彼女を傷つけてしまうかもしれない。
それくらい、彼女の存在はデカくなっていた。
助かったと思ったのは療養で大坂へ下る時。
彼女の顔を見なければ、そんな衝動にかられる事もない。
だから安心してた。
助かったと思っていたのに。
誰もそんな事は許さなかった。
顔を見たかった。
声を聴きたかった。
身体に触れたかった。
彼女の全てを恋しいと思う俺は。
自分に、とうとうウソがつけなくなっていた。
――本当は抱き締めてあげたいんだ。
そんな顔もさせたくないんだ。
でもそれはできない事。
分かってる。
分かってるからこれ以上あの娘に関わらない方がいいと。
言い聞かせてる毎日。
それに反して思いが募る毎日。
……きみが欲しい。
そう言えたらどんなにラクだろう。
臆病なのは分かってる。
情けないのも確信してる。
だから、ごめんね。
……――きっとそのうち雪に変わるだろう。
朝からの雨。
降り止もうとしない雨。
体を切り裂いてしまうような冷たい雨。
ぼんやり窓から空を見る。
重く圧し掛かった灰色の空。
おまえは。
彼女の雨なんだろう。
おまえは。
俺のじゃない。
彼女の心なんだろう。
「困惑」 |
20050714 |