どんな女でもよかった。
それがどんなに安い恋でもよかった。
世界中の誰もが俺を軽蔑しても構わない。
酒を飲んで女を抱けば、長い夜は凌げる。
後悔はしていなかった。
向こうも俺以外と関係を持つことは必然だし、それを攻める気はない。 どっちもどっちな話だから。
それがどうだ。
ここ最近遊郭へ行っても。
美味い酒を飲んでても綺麗な太夫の舞を見ててもいつだって思い浮かぶのは十以上も離れてるうちの紅一点。
いざ女を抱こうと思っても。
彼女の顔がちらつく。
それはいつも笑ってない。
きつく口を閉じて。
今にも泣きそうな悲しい顔。
彼女が俺を制する。
彼女が俺を咎める。
日に日に彼女の存在が大きくなる。
こんな自分を想像できただろうか。
知らないうちに彼女を目で追って。
彼女と話す時間はとても至福な時で。
俺の癒せる場所がようやく見つかった気がした。
不逞浪士を倒そうとする真剣な眼差しも。
どんな悩みも打ち消すような可愛い笑顔も。
入ってはいけない俺の心に深く突き刺さる。
でもこの想いは誰にも告げられない。
俺は死ぬまでこの想いを抱えて生きてくのだろう。
一生。
誰にも言えずに、彼女に言えずに。
「局長」としての俺の立場。
彼女の上司で同じ隊士。
それに……一生を共にと誓った伴侶もいる。
それらが、俺の理性をかろうじて止めている。
それでも。
俺の想いは止められない。
彼女に触れたい。 彼女を抱きたい。
その想いが強くて、苦しくて、成就できないこの想いが歯痒くて。
眠れない夜も迎えた事もあった。
自棄酒飲んだ事もあった。
――無理矢理遊女を抱こうとした事もあった。
それでもやはり俺の目の前には彼女が浮かんだ。
やっぱり悲しい顔をして、俺の名を呼ぶ。
「好き」という感情を確信した時には。
もう俺は他の女を抱けなくなっていた。
遊郭にも足を運ぶことはなくなっていた。
彼女を、彼女だけを想うようになっていた。
それは……自分の妻にも思ったことがあっただろうか。
「本物」の恋だと。
一生他の女なんか抱けなくてもいい。
君だけが必要なんだ。
分かってる。
俺にはその資格がないんだと。
ずるい人間だということも。
人を裏切ってるということも。
それでも。
俺には君が必要なんだ。
君がイヤなら抱けなくてもいい。
君のそばにいられれば……それだけでもいいんだ。
「あれ、近藤さん? どうしたんですか、こんな時間に」
夜の縁側で酒を飲みながらぼんやり月を見てた俺に桜庭君が声をかけてきた。
初夏の夜。 暑くも寒くもない涼しげな風。
彼女は白装束に身を纏いながら俺の隣に座る。
「君はどうしたの?」
「私……ちょっと寝付けなくて……起きたらここに近藤さんが……」
今夜は全く欠けていない大きな満月。
その光に彼女の白い顔が浮かび上がる。
夜でも鮮明に分かる屈託ない笑顔。
そんな時の彼女はちっとも悲しい顔なんかしていない。
俺の、見たくない顔じゃない。
「ああ、俺もさ……」
「近藤さん、何か悲しそうですね……どうしたんですか?」
「なんでもないさ」
汚れを知らない瞳。 そんな瞳で俺を見る。
汚れきった俺を。
君はこんな俺の部分を知ったらどう思うんだろう。
いつも君を見てること。
いつも君を想っていること。
いつだって君を触れたいと、抱いていたいと思ってること。
「奥様もいるのに」って軽蔑するかい?
それでもいい。
俺もそろそろ自制心がきかなくなってくる頃だろう。
それは……君のせいだな。
悪いな、おめぇら。
俺の願いが叶うことはなくても、おめぇらに渡すつもりなんか全然ないぜ。
俺の目の前で彼女が別の男と幸せになろうなんてごめんだからな。
俺はそっと彼女を自分の胸に閉じ込めた。
このまま一生俺の物になったらどんなに嬉しいだろう。
笑顔ですら自分の中に閉じ込めたい。
誰にも見せたくない、触れさせたくない。
だから君は。
ずっと俺のそばにいて、俺だけのために笑っていてくれないか?
「なんでも、ないんだ……」
驚いてるかい?
胸の中にいる君の今の表情は俺には見えない。
でも君も今の俺の表情なんて見えないだろ。
こうしてるだけで、幸せに思う俺の表情なんか。
俺たちのふたりの息遣いがこんなにも近いのも。
静かに光を放つ月だけしか知らない。
「恋歌」 |
20050404 |