いつ……からだったんだろうなぁ……。
確かに最初からカワイイ娘だとは思ってたんだけど。
小さいのにしっかりしてて、最近ではすごく頼れるようにもなってきて。
新選組に欠かせない人物となってきた彼女。
気がつけば。
いつもあの娘を目で追ってる自分がいた。
いつもあの娘を意識する自分がいた。
仔猫が鳴くような声で俺を呼んだり笑ったり。
それは戦の中を生き抜いてきたとも思えないほど迷いも何もない笑顔。
「とうとう俺もどーかしちまったなぁ……」
苦笑した。
揚屋での彼女が忘れられない。
彼女に買ってやった着物ではなかったけど。
それに身を包み、舞を見せられた時。
俺の心臓の鼓動はハンパじゃなかった。
それはそれで食ってる遊女らの足元にも及ばないのは承知。
だけど。
拙くても優雅で繊細で輝かしい舞は。
俺を完全に虜にするのに時間はかからなかった。
瞳も。
唇も。
指先すら。
俺だけのものにしたい――。
そう思い出したのはいつからだったろう。
きっとあの夜からじゃない。
もうずっと前からだったのかもしれない。
そして。
あんな場所でなく。
他人の着物ではなく。
きみの艶姿を……見たい。
だから俺は。
きみに内緒で。
「うーん、何処行っちまったのかなー……」
屯所中彼女を探す。
部屋には、いない。
稽古場にも風呂にもいない。
仕方ない……今日は諦めるか。
と、自分の部屋に戻ろうとすると。
その前の部屋から女の子の声がする。
烝の部屋。
ここか。
「烝ー、そこに桜庭君いない?」
「わわっ!! 近藤さんっっ!?」
「なぁによぉ、勇ちゃん」
「こ、近藤さん、今は入っちゃダメですっ!!」
……?
なんで俺が入っちゃいけねぇの?
着替えか?
いや、烝は仮にも男だ。
そんなこたぁねぇと思うんだけどよ……。
「何だ? まずいのかい?」
「な、何でしょうっ!? 任務ですかっ!?」
「いや……そうじゃなくて……」
その時すうっと障子が開き。
烝が顔を覗く。
「どうしたの〜? 勇ちゃ〜ん、今お楽しみなところなんだから〜」
「何してんだ?」
「ふふふ、彼女をかわい〜くしちゃったのよ♪」
「へぇ、どれどれ」
途端烝が部屋から出てぴしゃりと障子を閉めた。
「ダメ」
「なんでだよ?」
「やだやだぁ、絶対勇ちゃんには見せたくないわ」
「……どういうコトかなぁ、山崎君」
「んふふふふ、私だけのお楽しみにしときたいんだも〜ん」
「何だよ、それ」
「だぁって〜……勇ちゃんだけじゃないと思うけど、見たらヤバそうだもん。
私だけの鈴花ちゃんにしたいわぁ」
「………………」
……こいつも彼女に惚れてるクチかい?
「ああん、もう仕方ないわねぇ。 ちょっとだけよ?」
不機嫌そうに言って烝は障子の前から退く。
そんなに俺に見せたくなかったのかよ。
「桜庭君、入るよ」
「うわわわわっっっ!!」
返事を待たず俺は彼女のいる烝の部屋に入る。
障子を後ろ手に閉め、部屋を見ると隅で俺に背を向け座っている。
「どしたの?」
「い、いえっ! 何でもないので、に、任務ですかっ!?
ならもう少ししたら行きますので……」
俺が近づくたびに彼女は遠のく。
「なぁに〜? 俺が見れないのかい? 何してたのよ?」
「あ、あの……」
俺は痺れを切らせて強引に彼女を俺の方に向けさせる。
「わっ! ダメ!!」
それでも両手で顔を覆い、俺を見ようとしない。
その両手首掴み、顔から離そうとすると。
「は〜い、終了〜」
障子を開け烝が入ってきた。
「な……なんでだよっ!? 俺まだ何も見てねぇぞ!」
「時間切れよ。 てゆーか勇ちゃん何しに来たワケ?」
……理由がなきゃダメなのかよ。
「いや、だからさぁ、桜庭君が非番なら今日団子でも食べに行こうかと思ってさ」
「ああ、逢引き?」
「聞こえの悪いコト言うんじゃねぇよ……てなワケでさ、桜庭君行ける?」
「え……え、あ、あの…………」
烝が俺の手を引いて部屋から出される。
「おいコラ、烝」
「勇ちゃんと逢引きかぁ……これはちょっと手を抜くワケにはいかないわね」
「へ?」
「勇ちゃん、ちょ〜っと屯所の前で待っててくれない?」
「あぁ?」
「わかった? ちゃんと鈴花ちゃんに行くように言うから」
鼻先で障子が綺麗な音を立て、閉まる。
「な、なんなんだよ……」
よくわからない展開に俺は頭を掻きながら。
仕方なく屯所を出て桜庭君を待った。
えらく前に島原へ行った時に教えてもらった団子屋。
ずっと、行こう行こうと約束してた。
でもなかなか行けなくて。
――桜庭君に美味しいって言ってもらえるだろうか。
そして。
きみに渡したいものがあるんだ。
――喜んでもらえるだろうか。
そう思うと。
顔が綻んでくる。
どのくらい時が経っただろうか。
後ろからか細く俺を呼ぶ声。
「お……お待たせしてすみません…………」
「ああ、いいさいいさ。 全然気にしなくてい」
振り返り。
俺の言葉は途中で。
音を発さなくなった。
耳元の髪を後ろに束ね。
長い袂を気にして。
淡い山吹色の着物に身を包み。
いつもの男装ではなく。
いつも差してる刀もなく。
彼女がやってきた。
緊張してたのもあるのか。
歩き慣れないのか。
屯所の出入り口の飛び石につまづいた。
「わっ!」
「……っと!」
慌てて彼女を抱き止めた。
微かにふわっと鼻腔をくすぐる、彼女の香り。
俺の片腕から逃れ。
「ご……ごめんなさい……」
「いや……いいさ……」
見れば。
目の周りに薄く線が引かれ。
唇には桃色の紅が引かれ。
化粧でほんのり赤くした頬は羞恥の為か、必要以上に真っ赤になっていた。
「………………」
「あ、あの……すみません…………お団子食べに行くだけなのに……山崎さんに…………その、遊ばれちゃって」
正直。
いつも化粧っ気のない彼女だが。
元がいいのか目元もくっきりしてて、いつも以上に瞳が大きく輝いて見える。
それはあの揚屋で見た彼女とは。
全く違った顔。
それはそうだ。
薹が立った熟女じゃない。
いくら血に塗れる世界にいる人間でも。
まだ何も知らない。
汚れを知らない、少女。
「桜庭君……」
「え……?」
「俺…………」
「……?」
「い、いや……なんでもない、あ、あのさ…………」
「は、はい……なんでしょう」
心臓の音が彼女にも聞こえそうで。
「……今日はさ…………いろんなトコ行こう」
「え?」
「俺が……連れて歩きたい」
俺もちょっと気恥ずかしくなって顔を背ける。
いい歳して俺ってヤツは何してんだ……。
こんな純情でもねぇだろ。
暴走しそうな心臓を宥めようと。
ひとつ息を吐き。
落ち着かせる。
「行こうか」
桜庭君の手を繋いで。
彼女の歩みに自分の歩幅も揃える。
「こんなトコ誰かに見られたらマズいかなぁ? これってやっぱり逢引きかな」
「ああああああ逢引きだなんて……そんな……」
「俺は、いいんだけどね」
寧ろその方がいいとさえ思う。
だいたい彼女にちょっかいを出す男が多すぎる。
こんな俺たちを見たら。
少しは引いてくれるとありがたいんだけどね。
それから活気のある町へ出て。
約束の団子を食べる。
予想通り彼女は喜んでくれて。
京の見所を歩き回り。
楽しかった。
彼女の笑みも絶えなかった。
彼女と初めて歩いたワケじゃない。
前にもぜんざいを食べに出たことはあった。
だけどその時は俺のこんな気持ちもそんなになくて。
ただただ単純に楽しんでた。
でも今は。
きみと一緒にいるという。
こうして手を繋いで自分の一番近くにきみがいるという。
俺だけしか知らないきみが俺の傍にいるという。
この事実。
それだけでも。
俺は。
何とも言えない。
感情に委ねられる。
なのに。
そんな俺の至福な時を。
不躾な声が、いとも簡単にぶち壊した。
「近藤様ー!」
振り返ると。
見知った女のコたちが手を振っている。
ずっと前に通ってたトコの。
遊女だった。
「あ……ああ、久しぶりだねぇ」
「最近ずっとお目にかかれなくて……」
「もう店には来ていただけないのですか?」
「近藤様は今何を……」
彼女たちは桜庭君に気づく。
足のつま先から頭のてっぺんまで。
舐め回すように。
彼女を見た。
桜庭君は小さくお辞儀をする。
「近藤様の新しいいい方ですか?」
「ふふふ、可愛らしいお嬢さんね」
「近藤様、また泣かせてしまうのですか? いけない方ですわ」
「気をつけて下さいましね。 近藤様は遊郭へ来て下さっても誰一人本気になって下さいませんの」
皮肉まじりのその言葉に。
初めて女って生き物に。
憤りを感じた。
暫く彼女らの店に行かないからなのか。
彼女らの言う誰にも本気にならないからなのか。
俯いていた桜庭君は顔を上げて。
にっこり笑った。
「ええ、知っています」
驚愕した。
俺は彼女を見る。
俺がきみを泣かせるって。
本気にならないって。
そう、思ってるのかい?
桜庭君は俺に向き直って。
「今日だって近藤さんの気まぐれなんですよ」
「…………え」
「近藤さん、今日はありがとうございました。 私そろそろ屯所へ……」
頭を下げて。
桜庭君は足早に町の中へ消えていく。
追いかけようとする俺の腕を。
遊女たちが捕らえた。
「近藤様、今度はいついらっしゃるのですか?」
「私、いつもお待ちしておりますのに」
拳を握った。
それでも何とか激情を抑え。
彼女の消えた町中から目を逸らさずに。
彼女らと目を合わせずに。
「……今は忙しいからね。 当分は無理だよ。 いや……もう二度と行かないと思う」
その手を振り解き。
彼女の後を追った。
町人が行き交って混雑する時間。
彼女の姿が見えない。
一度走って屯所へ向かったが。
彼女の帰ってる形跡はなく。
もう一度来た道を戻ることにした。
戻っても彼女と会うことはなく。
町の路地へと入る。
どこにいる……?
早く探さないと行き違っちまう。
突き当たりの川に出た。
そこで。
向こう側の岸で川面に向かって俯いてる彼女を見つけた。
「桜庭君!!」
彼女は顔を上げ、俺を見た。
俺も慌てて近くの橋を渡り。
彼女の元へと駆けた。
「桜庭君」
「あっ……あの……っ! こ、近藤さん…………あの……」
結わえていた髪は頬に落ち、その表情は伺えない。
桜庭君は俯いて、花の髪留めを握るその手の甲で顔を擦っている。
俺はその手を止めた。
その甲には白粉や紅。
「こ……近ど」
「………………」
「わ、私……いいんですよ? ひとりで……近藤さんはあの人たちと……」
「今日俺が一緒にいるのはきみだ」
「でも……」
彼女の頬に手を添え。
自分に向けようとするが。
「いや……! あの……今、私……とてもみっともない顔で…………」
それでも、と。
俺は強引に彼女の顔をこちらに向けた。
化粧は。
全て擦った跡。
その代わり。
瞳も鼻の頭も。
真っ赤で。
俺と目が合う彼女は一瞬沈んだように瞳を伏せて。
そして。
笑ってくれた。
「もう、帰りましょう」
初めて、見たかもしれない。
彼女の。
何ともいえない表情。
頼む。
そんな顔。
――しないでくれないか?
「桜庭君」
「あはは、まじまじ見られちゃいましたっ。 似合わないですもんね、この格好。
すみません……全然可愛くなくて………………さっき、川で自分の顔見たら笑っちゃいましたよ……化粧も髪を結うのもやっぱり、全然似合ってなくて…………だから……」
「………………」
ぎゅっと閉じて震える口元。
食い縛る歯。
「……いいよ、我慢しなくて」
「………………」
ふるふると顔を振る。
きっと声を出したら。
「近、藤さん……帰り……ま」
でも。
見る見るうちに。
その大きな瞳から。
大粒の涙が。
綺麗な線を描く桜庭君の頬を伝った。
「あ……ご、ごめんなさい……」
「…………さ」
「近藤さんに連れて歩いてもらえるような女でなくて……ごめんなさい」
「……桜庭……」
「山崎さんには悪い事しちゃいました……せっかく化粧も着物も…………柄にもない事なんてしちゃダメですよね。
やっぱり私には男装の方が似合」
「……ほらほら、泣かない」
俺は袖から手拭いを出し。
彼女の目尻を拭った。
「ごめんね、雰囲気悪くしちまった……」
「そ、そんな! 謝るのは私の方で……」
「…………気に、してる?」
「………………」
さっきの言葉。
悲しく伏せた瞳。
傷ついてる。
それだけは、分かった。
気に……するよな。
するだろ。
「……気に……してません」
同じように悲しく彩る揺れた瞳。
見たく、ない。
「もう一箇所だけ行こう。 今日の一番の目的地」
彼女の手を取る。
小さく驚いた桜庭君は俺を見上げた。
そろそろ陽も傾き始める頃。
とある呉服屋に辿り着いた。
「近藤さん?」
「寄ろうよ」
店に入ると主人が出て迎えた。
「これはこれは近藤様」
「やぁ、主人。 こないだのまだある?」
「はい、勿論ですとも」
いそいそと店の奥に入る。
「近藤さんの着物ですか?」
「え? ああ、見れば分かるさ」
「まさか、隊のお金で買ってるんじゃ……」
「人聞きが悪いね。 烝に似てきたんじゃないの?」
くすくす笑うきみを横目に。
少しだけ安堵し。
笑みが零れた。
暫くし、主人が和紙に包まれたものを持って帰ってきた。
「いかがですか? 近藤様」
和紙を開けて見る仕立て上げたばかりの着物。
薄い紅梅色の生地に、桜の花弁が散る。
決して派手ではないが、印象強いそれ。
「わぁ……綺麗な着物ですね。 近藤さんのじゃ……ないですよね?
深雪さんにですか? あ、奥様に贈るものですか?」
この娘は天然かい?
なんできみといるのに深雪のやかみさんの着物なんか買うんだよ。
がっくり項垂れて。
桜庭君の肩に着物を乗せる。
「よかった、予想通り似合ってる」
「え……ええ……?」
「きみの着物」
「ええええええっ!!??」
「主人、貰っていくよ。 ああ、こないだ言った襦袢と帯と……それもね」
「はい、かしこまりました」
代を払って店を出る。
買ったものを片手に。
桜庭君の手を片手に。
「帰ろうか」
屯所への道をゆっくりと歩む。
「こ……近藤さん……あ、あの……」
「ん?」
「着物……」
「ああ」
橙の陽に照らされたきみの顔。
じっと俺を見ていた。
「きみに着てもらいたかったんだ。 俺、そういうの好きなんだよ」
「でも……あの……わ、悪いですよ……」
「悪くはないさ。 今は難しいかもしれないけど……もしきみが新選組を抜けて新しい生活が始まった時に着てくれたら嬉しいかな」
「え……」
「本当はきみには……もっと可愛いものを着てもらいたい。
刀を差すような格好でなくてさ。 女の子なんだから」
すると。
桜庭君は歩みを止め。
俯いた。
また悲しみに顔を歪めそうになる。
「……桜庭君?」
「………………さんは……」
「え?」
「近藤さんは…………私の事早く新選組を抜けた方がいいって……思ってるんですか?」
「は……?」
「私は……近藤さんのお役に…………立たないですか……?」
再び揺れ動く瞳。
「違うよ」
「……でも……」
「おいおい、ヘンな勘違いするんじゃねぇぜ? きみが今新選組に必要な人間だという事は事実なんだ。
今抜けられても困る。 でももし……もし何もかもが終わってきみが普通の生活に戻った時にその着物着てくれたら」
「………………」
「俺、毎日でも見に行く」
「……え」
目と鼻の頭をほんの少し真っ赤にして。
彼女は俺の言葉を聴いてくれた。
「どうしてもきみに贈りたかったんだ」
「近藤さん……」
「黄色い着物も捨てがたいけど……」
「…………これは山崎さんの着物で…………一番地味なものだと」
「蒲公英は嫌いじゃないけどね……綿帽子になったらどっか飛んで行っちゃうからなぁ」
「?」
「まだ……時期じゃないけど……」
まだ乾ききらない桜庭君の頬。
親指で拭き取る。
「きみは桜みたいだなって言った事あるよね? 桜が似合う。
俺好きなんだよ、桜」
「え……?」
「その着物……俺の前だけでな。 ほかの男に見せちゃダメだ。
俺が選んだんだ、着たらあんな遊女以上に可愛くなるぜ?」
その後桜庭君は笑って。
「近藤さん……ありがとうございます。 一生、大事にします」
「あ……原田さんたち」
「おっと」
先にある角を曲がるとすぐに屯所。
もう少しという所で。
原田君の率いる隊が巡察に出ようとする所だった。
俺は無意識に。
桜庭君の手を引いて。
近くの路地を曲がる。
「え? 近藤さん……屯所までもうすぐですよ? こっちからじゃ遠回り……」
「だからさ、今のきみの格好誰にも見せたくないんだって。
俺だけの特権にしてよ」
再び笑ってくれて。
彼女は繋いだ手に力を入れた。
少し肌寒い風が吹いて。
ほんの少し震えた桜庭君の方に俺の羽織を掛け。
桜庭君は俺を心配してたけど。
きみは知らないんだ。
きみと繋がったこの手。
俺はこの温もりだけで。
心も体も温かくなる。
結構単純、かもしれないな……。
俺は。
きっときみが思ってるほど。
大人じゃないんだよ。
「恋心」 |
20110926 |