ちょっと赤く染まる朝日が眩しいな。
遊郭からの帰り。
でもあまり町人の出歩かないこの時間に。
こうして綺麗な陽を見るのは。
好きだった。
今日はそれでも。
早く屯所へ帰りたくて。
少しだけ早足になっている。
屯所に着くと。
原田君が忙しそうに桶と手拭いを持って調理場に行く所だった。
近くにいたトシが俺に気づく。
「おう、近藤さん。 今帰ったのか」
「ああ。 原田君どうしたの?」
「いや、桜庭が熱を出してな」
「え?」
「無理に巡察に出たからだ。 全く……自分の体調管理も隊務のうちだと言うのに……」
原田君はずっと桜庭君についてたと言う。
少し。
胸が軋んだ気がした。
調理場の原田君に桜庭君の体調を聞く。
「まだ熱が下がらねぇんだ。 今日一日休めば大丈夫だと思うんだけどよ」
「そうか……粥、作るのかい?」
「ああ、だな……でも俺上手く作れるか自信ねぇしなー……」
「いや、原田君。 俺がやるよ。 昨日は君も巡察の番で疲れてるだろ?」
「って近藤さん。 近藤さんも島原帰りだろ?」
「ははは、俺はちゃんと寝てきたからねぇ。 平気さ」
「でもよ」
俺がすると一点張りだった原田君をようやく説得し。
俺が粥を作る事になった。
何度も固さを確かめ。
出来上がった粥を持って桜庭君の部屋に行く。
彼女におみやげをなんて持ってきた饅頭。
……食べれないかもしれないな……。
「桜庭君、入っていいかな?」
……返事がない。
寝てるか……。
もう一度呼んで返事がなかったらまた昼にでも顔を出そう。
「桜庭君? 寝てる?」
「……あ…………どうぞ……」
小さく返事が聞こえた。
静かに襖を開けると。
部屋の真ん中に横たわる桜庭君が朦朧とした瞳で俺を見た。
「ご、ごめんなさい……私……」
「ああ、起き上がるんじゃねぇよ」
起き上がろうとする桜庭君を制する。
肌蹴た布団を肩までかけ直し。
額の熱を測る。
「ああ……まだ熱いね。 体調はどうだい? 聞いたよ、巡察中に倒れたんだって?」
「あ……今はだいぶ平気です……すみません……私」
「いいんだよ。 きみはそれだけ責任感があるんだろ。
でもやっぱり言ってほしいな、具合が悪いんなら」
「…………すみません……」
瞳を伏せて布団を被る。
「……やっぱり起きれるかい?」
「……?」
「粥、作ってきたんだ」
「……近藤さんが……?」
「ああ。 味は……保証できないけどな」
いただきますと。
よろよろとようやく起き上がる。
彼女の背を支えて。
羽織をかけてやる。
匙を持つ手もたどたどしかったから。
「え……」
吃驚されたけど。
俺が匙ですくった粥を息で覚まし、桜庭君に食べさせてやった。
「近藤さん……美味しいです」
「ホントかい? よかったよ。 きみが早く良くなるように思いを込めて作ったからね」
「…………またまた……」
桜庭君は冗談にしかとってないようだけど。
……意外にそうでもないんだぜ?
あらかた食べ終わった後。
桜庭君を寝かせ。
桶の冷水に浸ってる手拭いを絞り。
桜庭君の額に乗せた。
「近藤さん……」
「何かな?」
「…………今日も朝帰り、ですよね」
「え?」
虚ろな瞳が俺を捉えた。
悲しそうなのは……。
「お酒と…………白粉の匂い」
「え……あ」
そう言えば。
さっきから俺に纏わりついてた気がする。
遊女独特の匂い。
「……奥様に叱られちゃいますよ……?」
「あ……」
悲しそうなのは。
熱だけのせいなのか?
「お粥本当にありがとうございます……すみません……朝から…………近藤さんも休んで下さいね」
桜庭君は笑って俺に背を向け、布団に包まる。
何でだろうな……。
俺はすごく。
そんな桜庭君が俺を突き放してる気がして。
――後悔したんだ。
朝帰り、それは本当の事。
だけど。
俺が楽しんでた間に。
その間に桜庭君は苦しい思いをして。
辛い思いをして。
そして。
原田君。
分からないけれど。
原田君がつきっきりで桜庭君の看病をしてた。
一晩中。
それも相まって、何とも言えない思いにかられた。
寝息が聞こえた。
なんとなく。
桜庭君に悪い気がして。
それが償いとかそんなんじゃなく。
「……ん…………」
陽がちょうど山の端に隠れる所で。
桜庭君の目がうっすら開いた。
しばらくあちこちに目を彷徨わせて。
ちょうど。
俺の所で止まった。
「え……」
「ああ、起きたかい? 気分はどうかな」
「……な……なんで、近藤さんが…………」
俺は手に持ってた書類を机に置き、桜庭君の傍へと寄った。
額に手を置く。
「だいぶ下がったかな。 腹空いてないか?」
「こ、近藤さん……何してたんですか……?」
「何って……仕事さ」
「仕事……?」
山のように積まれた書類やら帳面やらを見て驚いたのか。
桜庭君の机を借りて、ずっとそれらに目を通したり、手紙を書いたり。
きみの。
様子や容態を気にしながら。
「あ、あの……本当にすみませんでした……」
「ははは、何で謝るんだ?」
「でも……近藤さんの仕事の邪魔…………してますよね?」
「仕事なんてどこだってできるんだよ? きみの寝顔も見れたから得したけどね」
「え……ええ……っ!?」
真っ赤になって布団の中に入る。
そんな桜庭君がいやに可愛く見えた。
きみが良くなるまで。
ここにいてやろうと。
そう、思ったんだ。
きみが良くなるまでずっと、ずっと。
何でかなんて分からなかった。
でも。
遊郭へ行くような、そんな時間があるのなら。
きみの傍にいてやろうと。
良くなっても。
これから先。
楽しい時にも、苦しい時にも。
俺が部屋を出て行こうとすると。
彼女は。
「近藤さん」
「ん?」
「本当にありがとうございました。 近藤さんのおかげです」
満面の笑みで俺を送り出す。
俺も笑顔で返して襖を閉めた。
「あ」
気づいた。
前にも一度。
『また遊郭ですか?』
朝帰りをした日に。
彼女に言われたことがあった。
悲しみを含んだ声。
その時俺は。
後ろめたい気持ちになった。
そして。
永倉君と一緒にいた桜庭君。
それにも。
俺は――。
悲しそうな顔。
原田君。
今回も、同じだった。
ああ……。
そっか。
そうだったのか。
きっと。
俺は。
きみの。
悲しい顔を。
見たくないんだろう。
悲しい声を。
聞きたくないんだろう。
同時にもっと。
俺は。
きみの。
楽しい顔を。
楽しい声を。
それを。
他のヤツらでなく。
俺だけに――。
だから、傍にいたいんだろう。
ふと。
立ち止まり。
我に返った俺の顔は熱を持ち。
口元に手をやる。
なんだよ……。
これじゃ。
恋……してるみてぇじゃねぇか――。
「まいったな……」
俺は頭を掻き。
はぁと息を吐いて。
自分の部屋に戻った。
でも。
確信したのは。
もしかしたら今までずっと勿体無いことしてたのかもしれないということ。
そして。
――彼女の笑顔が好きなんだ、ということ。
そしてそれ以来。
どんな事情なのか。
それを“恋”と呼んでいいのか。
その確信は持てなかったけど。
俺は遊郭へ足を運ぶことが目に見えるほど減り。
彼女の笑顔をよく見るようになり。
彼女の声をよく聞くようになった。
「確信」 |
20060901 |