俺には。
どれだけ残されてるかな。
俺の胸元をぎゅっと掴む仕草で目を開けた。
見れば鈴花が目覚めたようで俺を見ている。
「おはよう。 眠れたかい?」
「おはようございます……はい、ぐっすり」
柔らかなクセっ毛を梳く。
「寒くない?」
「いえ、温かいです……」
「寒いだろ?」
「……? いいえ、温かいです」
「こういう時は寒いって言うんだよ」
「え?」
布団を頭から被って鈴花を抱く腕に力を込めた。
「そうすれば、温まるまできみを抱いていられるだろ?」
鈴花は笑って。
「ふふ……寒いです」
俺の胸に頬を寄せた。
俺を見る鈴花の目は少し赤く腫れている。
何回。
何回泣いたんだろう。
何回俺を恨み。
何回俺を憎んだんだろう。
もうないさ。
きみを傷つける事。
もう、ない。
「もう少ししたら起きようか。 きみに見てもらいたいものがあるんだ」
「え?」
「文だよ」
「文……?」
起きる鈴花に俺も一緒に起き上がり。
布団を鈴花の肩に掛けてやる。
畳まれてる俺の着物に挟んであった文を手に取り。
鈴花に渡した。
「深雪からだよ」
「え……」
俺と鈴花の連名で送られてきた深雪からの文。
戸惑う鈴花を促して、それを読ませた。
その文には。
今度自分が祝言を挙げること。
慕った俺にはもう感情がなくなったこと。
身篭った話は嘘だったこと。
そして。
『傷つけてごめんなさい』と。
鈴花への謝罪が書かれていた。
「………………」
「…………鈴花」
「……私も悪いことしてたのに……」
「………………」
「………………私がいなければ、深雪さんは今でも勇さんと一緒にいられたのかもしれないのに……」
瞳を伏せる鈴花。
手を伸ばし俯きかけた彼女の顎をほんの少し上げ。
少しかさついてるその小さな唇に、自分の唇を触れさせた。
「相手が深雪じゃ、ここまで続かないよ」
「え……」
「俺はきみが傍にいてくれて嬉しい」
「……い……さみさん……」
「隣にいるの、きみじゃなきゃ嫌だからねぇ。 誰にもその役はできないよ」
布団ごと抱き締めて。
再び、彼女を口づけを交わす。
夕べ。
久しぶりに、彼女の唇に触れた。
風呂から上がった彼女の手を引き寄せ。
布団の上で彼女の両頬を両手で包み。
額に、瞼に、鼻に、頬に唇を寄せ。
穴が開くほどに。
彼女を愛おしく見つめ。
ゆっくりと。
彼女の顔に近づいた。
俺の唇は初めての時のように。
震えて。
心臓の鼓動も早まって。
きみに、触れた。
確信したんだよ。
やっぱり俺はこの感触が大好きなんだって。
それは顔をしかめてしまいそうなものは全くない。
いつまでも触れていたかった。
離したくなかった。
鈴花独特の甘い匂い。
化粧っ気はないが、いつもつやつやしててぷっくりと弾力のある唇。
――全てが俺の好みで。
「私……可愛くないですよ?」
唇を離した彼女。
そう、呟いた。
「?」
「私、美人じゃないです……」
「………………」
「こんな刀ばっか差してて女の子っぽくないし…………胸がないから着物も似合わないし……」
「………………」
「……嫉妬もするし…………それに……」
「それでも」
涙を目尻に溜める彼女に。
そっと。
口づけした。
「それでも、俺はどんな女よりきみを選ぶ」
「…………いさ」
「どんなにきみに欠点があっても、どんなにきみに悪いところがあっても、どんなにきみと喧嘩しても……きみを嫌いになることは有り得ないんだよ」
「……え……」
「それにね、きみは可愛いし?」
ほら。
赤くなって下向いた。
こんなきみを見て。
どうやったら可愛くないって思うんだ?
「………………かに……」
「ん?」
「勇さんがこんな私を想ってくださるのは本当に嬉しいです……他に勇さんが同じくらい想ってる人がいても、嬉しいです」
驚いて鈴花を見たけど。
困った娘だね。
俺は苦笑する。
「鈴花、手出してごらん」
鈴花は意味が全然分からないと言ったように。
手をそろそろと出した。
その手を掴み。
指を全部折った。
「最高が十だとしたら、俺が鈴花を想う気持ちは十」
「…………?」
「他にこの指を全部折れる女はいない。 八も九もないな」
「……勇さん…………」
「誰もきみと張り合えるような女はいないって事。
世の中の女より、たった一人のきみが誰よりも勝ってる事。 安心してくれたかい?」
「…………他の、誰よりも……」
「俺さ、知らなかったんだよねぇ」
右手で鈴花の頬に触れる。
「自分の中にこんなにも激情があったなんて知らなかったんだよ……嫉妬もして束縛もして独占もして。
本気になったらこんなにも一途だったなんてな」
「……はい」
「何人もの女に本気で最高の愛情を注げるほど、俺はそんなに器用でもねぇし最低じゃねぇよ。
俺にはきみ……」
「………………?」
「……おまえだけだ」
頬を包む俺の手の上に自分の両の手を重ね、鈴花は目を閉じ「嬉しい……」と呟いて笑った。
好きな女がこうして目の前で微笑んでくれてる。
俺だけに。
なんて。
なんて至福な時間なんだろうな。
何もかも忘れちまいそうだ。
何もかも忘れて。
この娘を掻っ攫って行きたい。
誰も知らない地へ。
「………………鈴花」
「……はい」
「……“約束”…………どうしようか? ない事に、する……?」
目を開ける鈴花。
俺をじっと見る。
一緒に羽ばたく約束――。
彼女がそれで頷いてくれたら。
俺は。
「勇さん…………ごめんなさい」
「………………」
「私…………」
「…………うん」
「私……勇さんと一緒に、羽ばたきたいです」
「………………」
「……駄目、ですか……?」
上目遣いで。
申し訳なさそうに小さな声で俺に訊ねる。
俺は笑った。
彼女の肩にかかる布団に、俺も入り。
背後から彼女を抱き直した。
「駄目じゃないよ。 一緒に羽ばたこう」
彼女は再び目を閉じ。
俺の腕に包まる。
鈴花。
俺はね。
きみに決して言えない事があるんだ。
絶対に。
きみには言えない事。
きみはきっと怒るんだ。
「馬鹿な事言わないで下さい」と。
そして困惑するんだ。
「そんなの無理です」と。
もしきみが。
さっきの質問に「なかった事にしましょう」と頷いてくれていたら。
俺は。
それはそれで、安心したかもしれない。
きみとどこまでも一緒に歩いて行きたい。
ああ、どこまでも。
きみを、連れて行きたい。
だけど。
“約束”。
それは俺ときみが。
一緒に羽ばたく事。
でも俺は。
きみが俺だけが羽ばたくのを。
見守ってくれてるだけでもいいんだと。
思ってたんだ。
きみが隣にいてくれれば。
俺はひとりでもいいと思ってたんだ。
夢に向かって羽ばたく。
その夢は。
きっと険しくて。
容易いものではなくて。
苦労をかけさせるものだろうから。
もしかしたら。
その夢は。
俺が考えてるよりも。
ずっとずっと。
儚いものかもしれないから――。
だから。
きみには。
“ここ”で生きてもらいたい。
俺と気持ちが通じてる証を、残してあげたい。
本当はね。
十年後も二十年後も。
一緒に笑い合っていたいんだよ。
きみと一緒なら。
俺は。
俺はどれだけ幸せになるんだろうなって。
想像しただけでも、微笑んでしまうんだ。
でも。
でもね。
もし、いつか。
できるなら。
俺は。
きみとの子供が欲しい。
そして。
寂しい思いをしないよう。
俺の子と。
二人で、暮らしてもらいたい。
その頃俺は。
きっと。
きみを温める火となり。
きみを潤す水となり。
きみの頬を撫でる風となり。
そうやって、きみを守ることしかできないから。
鳥となり。
きみを見守ることしかできないから――。
連れて行きたい。
連れて行けない。
きみの前から消えても俺に依存する生活。
俺に縛られ。
俺に独り占めにされ。
本当は。
酷なんだろう。
いつから俺は。
こんなに我侭になったんだろうな。
「鈴花」
俺には。
どれだけ時が残されてるかな。
局長としての。
近藤勇としての、時間。
そんなに…………長くはないんだろう。
“間に合わなかった”ら――。
俺はどんな思いで。
最期を受け入れてただろうな。
ねぇ、鈴花。
考えただけでも、怖いよ。
「間に合った……本当に、ありがとう」
そう呟く俺に、彼女は首を傾げ。
俺を見た。
俺は微笑み返すことしか出来なくて。
俺の“僅かな時間”に。
戻ってきてくれて、ありがとう。
もう、これだけで十分。
一緒にいるよ。
羽ばたこう。
できるところまででいいから。
その約束、ちゃんと果たすよ。
だから。
ずっとずっと。
それまでは。
鈴花の頭に自分の頭を重ね。
俺は。
静かに目を閉じた。
鈴花。
本当にごめんな。
「慟哭 ― 終章」 |
20070416 |