その日は少し気落ちしてた夜だった。
出かける前に姿がなかったから。
別にいつもの事だと分かってたのに。
巡察の日。
もう明け方という刻に。
島原の辺りを巡回してた時の事。
ある揚屋から一人の男の人が出てきた。
暗い夜道。
店の小さな灯りがその人を照らす。
知るも知らぬも。
それは局長の近藤さんで。
綺麗な女の人に送られて。
その顔は満更ではなく。
優しく肩に腕を回して笑顔で別れる。
それを目の当たりにして。
私は。
目を逸らした。
「お? みんなご苦労だねぇ」
私達に気づいて近藤さんは声をかける。
「近藤さん、ちったァしゃきっとしてくれよ……示しつかねェだろ?」
「だってさぁ、今日は非番だったんだよ? でも悪いからさぁ、みんなが帰るまでには屯所へ戻ろうと思ってたわけさ」
私は俯いて永倉さんとのやりとりを聴いていた。
「今日は長州の動きはなかったかい?」
「ああ、今日は大人しくしてるみてェだ」
「そうか……きみも大変だね。 女の子なのにここまでさせちゃってごめんね」
私の肩を叩く。
ビクっと震えてしまった。
その手はさっき女の人の肩に回した手。
仄かに匂う白粉。
私の歯はギリッと音を奏でた。
肩の手を払い。
「やめてください!」
私の声に永倉さんも他の隊士さん達も吃驚したようだった。
勿論近藤さんも。
「……私はそれを承知で此処にいるんです……女だからとかそういう感情は持たないで下さい……」
「……桜庭……」
「……あ……すまない」
言って、失敗した、と。
仮にも局長に。
そんな事言える立場じゃないのに。
「…………すみません……私…………」
「あ、ああ……まぁ、おめェも疲れてんだろ」
「……すみません……」
「もう何もねぇみてェだからな、よし、このまま帰るぜ。
んじゃあな、近藤さん」
私たちは近藤さんをその場に置いたまま屯所までの道を歩いた。
醜い。
情けない。
こんなのただの嫉妬。
知ってる。
近藤さんがそういう人だって。
みんなも近藤さんは女の人が好きだと言ってるし。
近藤さんも俺は島原通いだって自分で認めてる。
知ってる。
知ってるはずなのに。
なのに。
見たくなかった。
「う……」
ダメだ、泣いちゃあ。
私は新選組隊士。
知ってたことに改めて泣く必要なんてないでしょ?
ふと顔を上げた私は。
知らない間に隊の人たちと逸れてしまっていた。
え? う、うそ……。
みんな……どこ?
あれ……?
ここ、どこだろう……。
や、やだ。
また迷子になっちゃった……。
屯所に、近いのかな……。
途端。
感じた。
私は立ち止まり。
鞘を持ち柄に手をかけ。
視線だけを動かし辺りを見回した。
前には、いない。
後ろ?
即座に振り向く。
いない。
不穏な空気に早く永倉さんたちに追いつこうと思った瞬間。
背後に妙な殺気が背筋を這った。
瞬間、後ろから口を塞がれる。
その反動で手にしていた刀を放ってしまった。
「つっかまえた〜、へへへ、見たことあるぜぇ……お前、新選組だろ?」
不覚にも両腕も同時に後ろ手にされた為、脇差にも触れられない。
しまった……!
我を忘れすぎて気配にも気付かなかった。
「こないだ、お宅の局長さんに痛い目に合わされてねぇ、ただ俺を峰打ちにしたのは誤算だったな」
前にも二人ほど男が立ちはだかる。
腰に下げた鞘を持ち、静かに剣を引き抜く。
不幸にも路地に連れ込まれ。
ここで私が消されても誰も気付かないであろう。
一人の男が口を開く。
「まぁ、待てよ。 その前に……くくく、じっくり楽しもうじゃねぇか」
「ああ……そうだな……」
引きずられるように私は近くの草むらに連れてかれ、地面に二人の男に両腕と両足を押さえつけられる。
「いい加減にしなさいよっ!! こんなことして新選組が黙ってるとでも思ってる……んぐっ!」
「うるせぇ女だ……ちったぁ静かにしやがれ」
再び口を塞がれる。
剣にはそれなりに自信がある。
でもその剣に触れられないのなら、意味がない。
一人の男が私の着物に手をかける。
「ふはは、久しぶりに若い女だ」
「おい、早くしろよ。 後がつかえてんだからな」
「ああ、分かってるさ」
男のだらしない顔が私に近づく。
「新選組の女隊士か、どうせ近藤や土方の捌け口にでもなってるんだろうが」
………………!!
「それともお前から尻尾振っていいように扱われてんのか?
“抱いてください”ってなぁ」
「ははは、だとしたら淫乱な女だぜ」
……悔しい!!
こんな男たちの性欲処理にされるなら。
ここで舌でも噛んで死んでやろうと思った瞬間。
「はーい、そこまでだ」
「あぁん?」
男達が一斉に振り向く。
明け方といっても陽が出るまでにはまだ数刻かかる。
ぼんやりと暗闇に浮かぶ人影。
誰かいる。
分かったのは。
その人物の手にある刀。
その剣先は……私に乗っかってる男の首に、食い込むように。
「峰打ちどころじゃあねぇなぁ……今度ばかりは」
「……ひっ……」
「少しでも動くんじゃねぇよ。 それともここで死んでみるかい?
なぁにすぐに楽になるぜ。 それとも」
いきなりその男の口の中に手を突っ込み。
舌を取り出し、その真下に上を向く刀の刃。
そして低い声が響いた。
「その舌掻っ切って一生喋れない生き地獄を味わってみるか?」
「う……うわああああああ!!!」
男たちは一目散に逃げていく。
間違いない、この声。
ほっとして身を起こしたその時。
息もできないほど。
何も言わずに、
きつく抱きしめられた。
――近藤さんに。
「どこも……何もないか? 大丈夫か……?」
「は、はい……」
「よかった……本当に安心したぜ」
途中で落としてきたのか……。
白粉の匂いは……しなかった。
ようやく私を解放してくれ、着物を直し。
手を引っ張り起こしてくれた。
途中私が手放してしまった刀を近藤さんが拾う。
屯所まで戻る間。
とても長かった。
汗ばんだ私の手をしっかり握って。
始終無言だった。
何も喋らなかった。
きっと……近藤さん怒ってるのかもしれない。
ちらっと隣の近藤さんを見上げる。
ただ一点を睨むように見据えていた。
……こんなに怖い近藤さん……初めて見た。
「桜庭君……」
「は、はいっ! あ、あの…………本当にすみません……隊から離れて…………あんな……」
屯所の前。
近藤さんは立ち止まり。
しばし私を見て。
小さく溜息をつく。
「……あんまり心配させねぇでくれな」
「近藤さん……怒ってらっしゃいますよね……?」
恐る恐る近藤さんを見る。
「別にきみには怒ってないさ……それよか……本当に大丈夫かい?
カラダは何ともないんだね?」
「は、はい……」
「きみは女の子なんだから、もう少し気をつけなきゃダメだろ。
注意が散漫すぎる」
近藤さんは呆れるように私を見た。
言う事が当たり前すぎて何の反論もできない。
近藤さんは私の両肩に手を置き、はぁと大きく息を漏らした。
「マジでよかったよ、本当に……きみはうちの大事な隊士だからね」
大事……。
私新選組にいてもいい人間ですか……?
「畜生……きみが俺らのなんとかって、あんな風に思われてたなんて心外だ……こんなに頭に来たのは久しぶりだ」
「ご、ごめんなさい……」
「きみのせいじゃないさ。 俺が四六時中きみの傍にいられれば、ちゃんと俺が護ってやるんだけどな」
「え……?」
「もう……勝手な行動はやめてくれよ? 俺の気がもたない。
知らないだろ、俺がどれだけいつもきみを心配してるか」
「…………女、だからですか……?」
「それもだけど……それだけじゃない」
…………?
近藤さんの言ってる意味がちっとも分からなかった。
近藤さんは腰の刀を鞘ごと引き抜き。
私の前に差し出した。
「え?」
「これを、きみに」
私はやっぱり意味が分からなく固まった。
え?
刀……だよね?
きみに、って……私に?
「受け取ってくれ」
「あ、あの……」
「いいから」
無理矢理私に刀を預ける。
その刀はずっしりと重みを持っていて。
「こ、近藤さん……これって……」
「きみにあげる」
「あの……な、なんででしょう……?」
近藤さんは笑って。
「俺が長年使ってた刀だ。 切れ味バツグンだせ?
でも……願をかけた、きみを護るようにって」
「え?」
「きみのこの刀は俺が預かる。 だから、それ使ってくれたら嬉しいな」
「でも……」
「でも?」
「その……悪いですよ…………近藤さんが長い間使ってた刀なんて聞いたら尚更……」
暫く私達の押し問答が続き。
それに業を煮やしたように近藤さんは。
「ああ、もう命令だ、命令! 局長命令!! 使わなかったら除隊だ、切腹だ!!」
「え、ええっ!? それは困りますっ!」
「だったら大人しく使いなさい」
「だ、だって……」
私の頭に大きな手が乗る。
それは温かくて優しくて。
「これは俺が虎徹を使う前に使ってたヤツで、ずっと俺を護ってくれてた。
だからきみをも護ってくれる。 きみの事だけを思って願をかけたからね、護ってくれるよ」
「近藤さん……」
「使ってくれるかい?」
「はい……あ、あの……ありがとうございます……」
「ああ、礼はいらないよ」
「近藤さん…………」
「ん?」
近藤さん……。
ごめんなさい……。
近藤さんに嫉妬して……。
私……好きなんです…………きっと、近藤さんが……。
だって嫌いだったらあんな胸が切り裂くような思いなんてしない。
それなのに。
あんな態度で……。
手の中にあるその刀をじっと見た。
使い込んでた証拠。
鞘にはいくつかの傷がある。
ぎゅっと握り締め。
胸に抱いた。
「ごめんなさい……近藤さん……ごめんなさい」
近藤さんは私の肩に手を添え。
吃驚して近藤さんを見た。
なんとなく。
いつもの近藤さんではなくて。
「本当はさ………………」
「……?」
「…………ったから」
え?
聞こえなかった……。
それよりも私は顔に血が上るのを感じ。
次第に熱を帯びる。
それを冷ましたのは。
「近藤さん、帰ってるのか?」
屯所の中からの土方さんの声だった。
近藤さんの手は私から退き。
いつもの笑顔で。
「おっと。 トシのヤツ、何かまた小言か」
私は刀を抱き続け。
その場に呆けてた。
そんな私を見て近藤さんは小さく笑い。
「またね、桜庭君。 今日はお疲れ様」
屯所の中に消えた近藤さん。
再度刀を見て。
もう一度抱き締めた。
嬉しくて。
悲しくて。
ぎゅっと目を瞑った。
近藤さんの刀。
近藤さんが大事にしてた刀。
近藤さんを護ってた刀。
大事にしよう。
絶対。
一生。
あの時の言動が気になって。
江戸に上ってから。
私は近藤さんに聞いた。
「え? あ〜……うーん、あんまり言いたくはなかったんだけどねぇ……もう時効だからなぁ、教えてあげるよ」
あの時は私が巡察なのを知っていたこと。
あの刻にあの道を通る事を知っていたこと。
それに合わせて店から出てきたこと。
――最初から私に刀を渡すつもりでいたこと。
そして。
聞こえなかった一言。
「『きみにいつも俺を感じて欲しいと思ったから』って……ははは、きっと俺はその頃からきみのコト気になってたんだよねぇ」
「愛刀」 |
20060214 |