早く。
早く。
――早く、大人になりたかった。
「どうして泣いてるの?」
「………………」
隣で泣いてる女の子。
その娘は答えなかった。
「どうして黙ってるの?」
「………………」
もう一度聞いても。
その娘は答えなかった。
「ねぇ、君は人魚なの?」
泣きじゃくってた娘はようやく顔を上げて。
くりくりの大きな瞳で初めて僕を見た。
それにほんの少し、ドキッとした。
夕陽に照らされても、鼻の頭が赤いのが分かる。
おじいちゃんのお店の前の海辺。
たまたま遊びに来ていて。
たまたま浜を歩いてたら。
この娘を見つけた。
ひたすら泣いてて。
声をかけようかどうしようか迷ったけど。
思い切って。
隣に座って。
「どうして泣いてるの?」
不思議だった。
助けてあげたいって。
何とかしてあげたいって思ったのかな。
だって普通、声なんかかけないだろ?
でも。
何故かその姿に。
困惑した。
しゃくりあげながら僕を見てた娘は。
重い口をなんとか動かした。
「迷子に……なっちゃったの。 お父さんもお母さんもいないの……」
また顔を伏せて泣き続ける。
幼稚園でも女の子が泣いてるのを見たことがある。
でも。
全然こんな思いはしたことなくて。
どうしようとオロオロしてる僕。
咄嗟に口から出てしまった言葉。
「あそこにあるお店、僕のおじいちゃんのお店なんだ。
行こう。 きっとすぐに君のおじちゃんもおばちゃんも来るから。 そこで待ってようよ」
立ち上がってその娘の手を引く。
ビックリして僕を見上げたけど。
ひとつ頷いて立ち上がった。
「コラ、瑛。 やたらと外に出たら危ないじゃないか」
「ごめんなさい、おじいちゃん」
店のカウンターにいたおじいちゃんがこっちに振り向く。
隣で手を繋いでる女の子を見て。
「おやおや、可愛い娘を連れてきたね。 このお嬢ちゃんは?」
「えーとねぇ……そこの浜辺で……」
この女の子と会ったことを話すと。
おじいちゃんはニッコリ笑って。
「ああ、迷子になっちゃったのかい? 少しここで休んでいきなさい。
なぁに、ちゃんと迎えに来るから安心しなさい。 お嬢ちゃん、お名前は?」
「秋月 七海です。 6才です」
「ああ、瑛と同い年なんだねぇ。 仲良くしてやってくれると嬉しいな」
「てる?」
すっかり泣き止んだ女の子が聞くと。
「僕の名前だよ」
「瑛って言うんだ。 あ、ねぇ人魚ってなぁに?」
「あれ、知らないの? 人魚と若者の話。 僕好きなんだ」
「素敵なお話?」
「うん。 じゃあ読んであげるよ。 ねぇ、おじいちゃん。
あのご本読んでくれる?」
テーブルに乗っていた椅子を下げながら。
「ははは、瑛はあの話が本当に大好きだねぇ。 今日は平日だしお客さんもいないから……よし、話してあげよう。
二人とも2階へおいで」
人魚の話。
それはむかしむかしの事。
口のきけない人間の姿をした人魚の娘は一人の若者と知り合う。
二人は次第に愛し合い。
結ばれるはずの日々を送っていた。
それが心ない村人に知れ渡り。
娘は若者の傍にいられなくなって。
さよならの代わりに口づけを交わした二人。
この海で、また逢えるようにと。
一人静かに海へと消えて行く。
若者は毎日毎日海へと通い、眺め。
彼女が現れるのをいつまでもいつまでも待っていた。
ある日、意を決した彼は。
夜、その海の沖へと船を漕ぎ出す。
それから若者が村へ帰ることは、なかった――。
「僕、あの話が本当に大好きなんだ」
おじいちゃんの店の前に大きな灯台がある。
女の子を連れて。
灯台の中のベランダに腰をかける。
「二人は逢えたの? 逢えたんだよね?」
「それは……わからないんだよ」
「だって……逢えなかったのなんて可哀相すぎるよ……」
「でも、そういうお話なんだよ」
「………………」
悲しそうな顔をして。
女の子は俯いた。
「……そろそろおじちゃんやおばちゃんが来るね」
「うん……そろそろバイバイだね」
「…………ねぇ、また逢える?」
「え?」
「僕さ、あの店おじいちゃん家だから僕が住んでる所はもっと遠い所にあるんだ。
またここに遊びに来るから。 また、逢える?」
女の子は俯き。
また泣きそうな顔をした。
「わたし……この街に住んでて……だけど、ちょっと遠い所へ引越ししちゃうんだ……」
「……え? そう、なんだ……」
「わたしも……また逢いたい。 瑛くんに、もう一度逢いたい。
またあのお話聞きたい」
ずっと握ってた手。
力が篭った。
「……あの話の灯台がこの灯台かどうかはわからないけど…………僕なら見つけるよ」
「え?」
女の子は僕に訊ねる。
「今はダメかもしれないけど、僕ならいつか見つけるよ。
だから約束しよう」
「……約束?」
「うん、約束」
「…………どんな?」
しばらく考え込んで。
ようやく探し出した誓い。
女の子の顔に近づき。
その小さな唇に。
自分の唇を。
押し当てた。
「約束しよう。 いつか、この海でまた逢えるように――」
だから。
早く。
早く。
――早く、大人に。
空は青から橙のグラデーションを描いてて。
俺はその原因を。
珊瑚礁の前にそびえる。
この灯台から見ている。
あの時と。
同じ場所。
同じ時間。
同じ海。
違うのは。
季節と。
年と。
隣にいないあの娘だけ。
早く、大人になりたかった。
そうすれば。
泣いてるあの娘を守れた。
「行くなよ」って止めることができた。
そうすれば。
今も一緒にいられたかもしれない。
けど。
それをするには非力すぎて。
子供すぎて。
結局。
何も守れず。
何も止めることはできなかった。
それは。
今でもそうなのかもしれない。
今でも、非力で、子供。
早く。
早く。
大人になりたい。
そうすれば。
今度は。
きっと。
この手で。
目を閉じた。
小さい頃から思い出していたあの娘は。
忘れることのできなかったあの娘は。
いつの間にか、あいつに代わってた。
笑顔も。
声も。
ままごとのような“約束”も。
確信するようになった。
おまえがいけないんだ。
あんなコトするから。
こんなに。
思い出すようになったんだ。
責任取れよ。
思い出せよ。
俺を。
“俺は、ここにいる”んだから。
だから。
早く。
あれから2日。
ゴールデンウィーク。
連休に入って。
良かったのか。
悪かったのか。
気まずいのか。
早く逢いたいのか。
どうかしてる。
夕焼け見てるくらいで。
やけに思い出すなんて。
俺は、舌打ちをし、灯台を出。
手に持ってたエプロンをつけ。
“珊瑚礁”へと。
歩き出した――。
そこに。
まさか。
バイトとしてやってきたあいつがいることも知らずに。
俺の人生も運命も。
あいつによって変わることも知らずに――。
「stay」 |
20061117 |