桜の花びらが雪のように舞うこの季節。
高台にある教会。
決して新しくはないが趣のある教会。
その教会の前に佇む小さな影は、教会の風体を見ていた。
小さな影――まだ幼少の男の子は寂しそうな光を瞳に湛えその教会に見入っていた。
途端、その静寂に似つかわしくない声が。
「わぁ、すごい! 教会だー! 初めて見たー!!」
男の子は顔を曇らせ、声のする方を見やった。
見ると、自分と同い年だろうか。
白地にピンクの花柄のワンピースを着た女の子が教会を見上げていた。
顔を紅潮させ興奮していた女の子は男の子に気付き、走って男の子の横にやってきた。
「ねえねえ、これ教会だよね?」
「……ああ」
戸惑っている男の子をよそに女の子は再び教会を見つめ、溜息をついた。
そんな女の子をしばらく男の子はみつめていたが、急に女の子が弾かれた様に男の子に振り向く。
びっくりしたようにじっと隣の男の子を見る。
ヘンなヤツだな、とぶっきらぼうに聞いた。
「……なんだ?」
「……キレイ……」
「……え?」
「キレイだね! あなたのめ! あ、かみのけもキラキラしてる!!」
男の子は面食らった。
大きな瞳を見開いて女の子を見る。
今まで自分のことをそんな風に言われたことがなかったから。
「……キレイ?」
「うん! すごくキレイ!!」
「………………」
困ったように俯く男の子に女の子はきょとんとして。
「どうしたの?」
「…………俺、そんなこと一度も言われたことがない……」
「え? だって、本当にキレイだよ?」
「……この緑の目が? 黄色い髪の毛が?」
「うん! うらやましいなぁ、わたしの茶色いんだもん」
「……気味悪がれてる……」
「え?」
男の子は瞳を隠すように女の子から目を逸らした。
じっと見て欲しくなくて。
「……幼稚園とかでも……俺、こんなんでみんなと違うから……いじめられたりする……」
「そんなの! わたしがやっつけるよ!!」
男の子はびっくりして女の子を見た。
すぐに変わってるな、と笑顔で答える。
「大丈夫。 俺、負けてないよ。 ケンカになっても勝ってるし」
「そっかぁ、ケンカ強いんだね?」
その場で二人は意気投合し、いろいろな話をした。
そのうち日も陰り、「もう帰らなきゃ」と女の子が立ち上がった。
「ねえ、また明日会える?」
「ああ」
「明日もここで遊ばない?」
「うん、いいよ、待ってる」
「あ、そう言えば、わたしあなたの名前、知らない。 わたしね、ひわたしかや」
「俺、けい。 はづき、けい」
それから約束をしては、毎日二人で遊んだ。
男の子が女の子にいろいろ話もした。
ただひとつ、どうしても話せないこと以外は。
一週間が過ぎた。
今日も遊ぶ約束をしている。
女の子が行くと、男の子は教会の入り口の段差に座っていた。
手には本を持っている。
「おはよう、けいくん!」
「おはよう」
「今日は何して遊ぼっか?」
「……今日は、おまえに“お話”してやる」
「え?」
いつもは閉まっている教会だが。
今日はうっすら開いていた教会の中へ女の子を導いた。
中は綺麗に掃除がされているようで、真っ赤なヴァージンロードには埃ひとつ落ちていなかった。
正面には太陽にを背にステンドグラスが輝いている。
「わぁ……すごーい……」
二人でステンドグラスの前の床に座る。
「なんてお話なの?」
「王子様とお姫様のお話。 俺、好きなんだ」
女の子に笑顔を向け男の子は話し始めた。
「見て……あの窓、ステンドグラスっていうんだ……この教会なんだ、きっと……」
男の子と女の子は窓に大きく描かれた王子様とお姫様のステンドグラスに見入っていた。
それに見惚れていた女の子に男の子はゆっくり告げる。
「……もう行かなきゃ」
その言葉をよく飲み込めないでいる女の子は不思議そうに男の子を見た。
「もうお終い? 続きは明日?」
「……もう、しばらくここには戻れない……」
「……何で? どこかに行っちゃうの?」
「とても遠い……」
聞くとその日は、男の子は父親の待つ外国へと旅立つ前の日で。
知らないうちに瞳に涙をたくさん浮べ、女の子はぐっと唇を噛み締めた。
男の子がそんな女の子を見て困っていると、女の子はみるみるうちに大声で泣き出した。
しゃくりあげながら、ようやくの思いで男の子に聞く。
「ひっく、ね、ねえ……ま、また会える?」
「……きっと、会えるよ」
「わたし待ってる! ずっと、ずうっと、待ってるから!! そしたら……」
「かや」
とても優しい声が女の子の頭上に舞い降りる。
「そしたらまた、俺……お話の続きしてやる」
「……本当に?」
「ああ、だから」
男の子はふわっと笑い、
「泣くなよ……約束」
男の子の顔と差し出した小指と交互に見つめ、女の子は自分の小指を男の子の指に絡めた。
男の子は暫くそこから離れることができず、ただステンドグラスを見やっていた。
母親が迎えに来ても最後まで大声で泣き止まなかった女の子が忘れられなかった。
それは本当にひと時の出来事だった。
本当に人間らしい時間。
人の温もりを多大に感じた時間。
このまま時間が止まってくれれば……。
何度そう思っただろう。
それでも時間は無情にも止まることは知らず。
待ってもくれず。
今度は男の子は泣いていた。
吸い込まれるような翡翠の瞳は涙で揺れている。
またこんな時間にめぐり合えるだろうか?
またあの娘に会えるだろうか?
行きたくない……。
父さんのいる国なんか……。
ずっとここにいたい……。
だから、神様……もう一度あの娘に会わせて下さい……。
「prologue」 |
20040315 |