「……嫌だ」
「ねぇ、葉月さー、頼むよー」
「…………絶対嫌だ」
冗談じゃない。
絶対、引き受けない。
「あぁ、困ったな……」
俺はもう決めたんだ。
もう金輪際、そういうの引き受けないと。
「こんにちは〜!」
「あ……」
コーヒーを乗せたトレイを持つ夏野がスタジオのドアを開ける。
今日はバイト。
スタッフひとりひとりにコーヒーを配り。
最後に俺のところに来て。
モカをもらう。
「夏野ちゃん。 今日もありがとね」
「いいええっ! どう? 珪くん、調子は」
「ああ……まぁ……」
「……どうしたの?」
夏野が俺の顔を覗きこむ。
「いやね、葉月、今度ブライダルフェアのモデルになったんだよ。
でさ、どうしても女のモデルと一緒にやってもらいたくて」
「あ……バカ……」
そんな余計なこと。
夏野の耳に入れたくなかった。
俺は最初から断るつもりだったし。
夏野の。
悲しくなるような顔も見たくなかったから――。
そんな俺の気持ちなんて露知らずなスタッフ。
だいぶ前から。
俺は女のモデルと仕事しないと宣言してたし、暗黙の了解だった。
それが。
ブライダルだからって。
どうしても。
女と共演しなきゃならないと。
「スポンサーもゼヒ二人でって言ってきてるんだよね……ホラ大手のトコだから、うちとしても断れなくて」
「でも俺は……」
「あ!」
スタッフのひとりが声を上げる。
「夏野ちゃん! 夏野ちゃんに相手役してもらおう!」
「え?」
「…………は?」
夏野が。
代役?
「夏野ちゃんが相手なら葉月だって了承するだろ」
「いっ、いえっ! わたしには絶対無」
「嫌だ」
即答。
冗談じゃない。
それも絶対。
「葉月〜……それはねぇだろ」
「珪くん……」
夏野がモデル。
考えただけでも胸がムカムカする。
「無理……ダメだ、こいつじゃ」
「珪くん」
夏野は俺の両頬に手を添え。
自分に向かせる。
「珪くん、困らせちゃダメだよ?」
「………………」
「仕事、引き受けなきゃ」
「…………でも……俺はもう」
「わたしのこと?」
「………………」
「わたしはもう大丈夫だよ? 珪くんの仕事してるとこ好きだし」
「……夏野」
「わたしには絶対無理なんだから、ちゃんとプロのモデルさんとお仕事しよ?」
夏野の笑顔。
いつもの。
無理は……してない。
おまえのためだからじゃなく。
あんなことがあったからじゃなく。
俺は本当に。
誰とも一緒に仕事したくないんだ。
でも。
本当におまえとも仕事したくない。
俺たちが付き合ってると公言しても。
絶対。
絶対言い寄る男が増えるから。
そんなのは勘弁だ。
俺の葛藤は続く。
夏野は俺の目の前で一生懸命。
俺を説得する。
「ね? 珪くん」
「………………」
女と。
絶対共演したくない。
溜息をつく。
だったら。
夏野の手を取り。
スタッフに聞く。
……全然納得はしてないけど。
「…………モデルは顔、出すんですか?」
「いや、無理なら手だけでも後姿だけでも構わないらしいからな」
スタッフが答える。
「……その仕事、いつ?」
「えーと……来週のアタマだな」
「じゃあ………………夏野」
「え?」
「こいつ…………使ってください」
「ええええええっ!!?」
「よし、決まり! じゃあ夏野ちゃん、来週スタジオへ来てくれる?」
「ちょ! ちょっと珪くん!」
夏野は真っ赤になりながら俺の腕に縋る。
「俺が女と一緒に仕事するなら……もうおまえしかいないだろ?」
「わたし無理だよ!」
「いい……立ってるだけだから」
「でも!」
夏野のその手を掴み。
「……納得なんて、してない」
「……珪くん?」
夏野にだけ聞こえるように。
「嫌だ……おまえがモデルなんて」
「う、ん……そうだよね? わたし他のモデルさんみたいに背も高くないし、キレイじゃないし……」
「違う」
しょげた夏野の頭を痛くない程度に小突く。
「違う……嫌、なんだ…………おまえに寄って来る男が増えるのが」
「珪くん……?」
「でも俺は他の女と……仕事でも一緒にいたくない。
だったら…………おまえは心配しなくていい、俺がいる」
「でも……」
「予行演習」
「……え……」
「だろ?」
「え? え?」
「よし、決まり」
意味の通じてない夏野の頭をポンポンと叩き。
俺はパイプ椅子から立ち上がった。
「はい、あと1枚ねー」
カシャッとフラッシュとともに響くシャッター音。
「お疲れー!」の声とともにざわつくスタジオ。
隣の夏野は、大きな息を吐いて。
「お、わったぁ〜……」
「お疲れ」
「珪くん、こんな大変なことしてるんだねぇ……」
「…………? 全然大変じゃないけど……」
「立ってるだけなのに、すっごく汗かいちゃった」
全然緊張する要素、ないのにな。
コケそうな夏野の手を引き。
部屋の隅のテーブルに置いてあるハンドタオルで額の汗を拭ったやった。
「葉月、夏野ちゃん、記念に1枚! さ、こっち来て並んで!」
夏野は俺の顔を見て、困ったように。
「いいよ、行こう」
再びセットに二人立つ。
長いドレスの裾を気にする。
はっきり言って。
最初見た時、再び息を呑んだ。
夏野の。
ウェディングドレス。
これでもう2回目。
2回目は……。
俺が着させてやりたかったと。
少し落胆したけど。
3回目は。
たぶん。
もうじき。
「夏野ちゃん、笑って! 葉月も。 ああ、いいねぇ。
一足先にドレス着られて」
俺が夏野の手を引き寄せる。
その写真はすぐに街に飾られた。
夏野の顔は出なかった。
俺が猛烈に反対したから。
でも。
なんだか、すごい褒められた。
俺が『いい顔してる』って。
『今までで一番いい』って。
そんな自覚なんてないんだけどな。
ショッピングモールの1階フロアのベンチに座り。
隣の夏野はその広告を見上げ。
さっきから笑いっぱなし。
「……もういいだろ? 行くぞ」
「もうちょっと! ふふ、やっぱ珪くんカッコいいなぁ」
「……よくない」
「だってさだってさ、珪くんニコーって」
「…………いつだって笑ってるだろ? ほら、手」
夏野の手を引いて。
その場から立ち去る。
昔と比べ物にならないほど。
おまえといる俺が笑う場面は格段に増えたのに。
モデルの俺が笑うのが嬉しいと。
なんだか……スッキリしない。
まぁ……。
あんな写真の俺に嫉妬するのもどうかと思うけど。
「不思議だな……こうして隣にいるのが珪くんで。
まだ信じられない時だってあるんだよ?」
俺は呆れるように夏野を見た。
いい加減慣れろよ……もう1年以上経つぞ?
俺は慣れた……んじゃない。
おまえがこうして俺の隣にいるのが普通で。
当然で。
当たり前で。
それは人間が空気がないと生きていけないのと同じように。
おまえが隣にいないとダメなんだ。
だから。
「こうしてるのが信じられないんじゃ、きっとこの先……もっと信じられないことが起こるぞ」
「もっと?」
「ああ、もっと」
「もっとって……どんなこと?」
「……まだいい。 知らなくて」
「……?」
「とりあえず……次は本物着ろよ。 俺が用意してやるから」
「???」
あからさまにデカい溜息をついてやった。
「…………分からないなら、いい」
まったく、相変わらず鈍いヤツだ。
いつか。
ちゃんと分からせてやる。
俺がどれだけおまえが大事なのか。
おまえが必要なのか。
賭けてみるか?
俺の方が絶対。
おまえのこと、想ってるから。
イヤってほど。
分からせてやるよ。
「neighbor」 |
20061006 |