いつものように。
いつもの時間に。
バイトで隣のスタジオに行っただけだった。
そう、いつもどおり。
コーヒーの乗るトレイを持って。
スタジオへ入っていくと休憩中。
スタッフに混じって。
夏物の撮影だろう。
ノースリーブの真っ白いシャツを着ている珪くんがいた。
それはいつもの風景。
でもその隣には。
女の人が立っていた。
珪くんを見て屈託なく笑っている。
珪くんも。
いつものような素っ気無い感じはそれほどなく。
綺麗な人だな……。
なんか。
こうして見ると。
全然違和感ないんだ。
珪くんとその人。
すごく似合ってる気さえする。
とりあえずみんなにコーヒーを配って早く店に戻ろう。
なんだか。
女の人と一緒にいる珪くんを……見たくなかった。
そう思っていると。
その女の人がわたしの前にやってきた。
「あ……」
「あなたが夏野ちゃんね?」
「え?」
その女の人はわたしより背が高くて。
ほっそりした長身の人だった。
モデルの人かな……?
「初めまして。 私葉月洋子。 珪の従姉妹なの」
「え……? 珪くんの……!? あ、はい! 初めまして、樋渡夏野と申します!」
「あはは、可愛いわ! 珪がのめり込むのもわかるわね」
「え?」
「ふふふ、これはナイショだったかしら」
洋子さんはわたしの持ってるトレイからひとつコーヒーを取り。
わたしも一緒にと近くの椅子に座った。
「珪の両親が外国へ行っちゃってるからね、私が保護者なの。
夏野ちゃんのコトは聞いてるわ」
「え……どうして……」
「スタッフの中でも有名なのよ? 夏野ちゃんがいると珪は見たこともない笑顔になるって言うし。
珪の口からはちょっとだけしか聞いてないの。 ホラ、口数少ないでしょ?」
「あ……」
「私が聞かなきゃ話さないけど、『クラスに面白いヤツがいる』とか『コーヒー入れるの最近上手くなった』とか割と楽しそうに話すのよ。
その微妙な変化が他人にはあまり分からないようだけど」
珪くん……。
わたしの事話したりしてくれてたんだ。
「でも……珪は感情表現がなかなかできないコでね……昔はそうでもなかったんだけど」
「そう、なんですか?」
「もっと明るいコだったわ。 でも……」
言って洋子さんは溜息まじりで珪くんを見た。
「今はあれだからね……簡単にはOKが貰えないし」
「OK?」
あ、と。
洋子さんは少し戸惑った感じがした。
「夏野ちゃんは……珪の恋人?」
「えっ? ええっ!? ぜ、全然そんなんじゃないですっ!」
「仲の良さは聞いてるけど……じゃあ友達?」
「友達……」
友達。
わたしはそう思ってる。
本当はそれ以上になりたい。
珪くんの彼女。
ムリだって知ってる。
でも。
何度……夢に見ただろう。
「友……達です」
「そう……せっかく珪に彼女ができたと思ったのに」
ちょっと伏し目がちに言う。
「夏野ちゃんに……言っていいものかしら…………」
「え?」
「珪ね……ドイツへ行かせようかと思ったの」
「え!?」
驚いて洋子さんを見た。
「両親がドイツにいるのよ。 それで叔父さんも叔母さんも珪と暮らしたがってるし……それに…………」
「………………」
「ちょっと……外国からのオファーも来てて……」
「外国……!?」
とてもわたしの入れる話ではない。
世界ではない。
「珪はイヤだと言ってるけど……どう説得しようかと悩んでるのよね……」
珪くんは行きたがらない。
……でも。
ご両親の気持ちを考えると。
子供と一緒にいたい、よね。
珪くんだって本当はご両親と一緒に暮らした方がいいのかもしれない。
「わたし……言ってみましょうか?」
「え? 夏野ちゃんが?」
嫌だよ。
寂しいよ。
本当は。
「もしかしたら……説得できるかもしれないですから」
「そうね……でも無理ならいいのよ? 夏野ちゃんがこの役を引き受けるのは酷かもしれないから」
……嫌だよ。
寂しいよ。
本当は。
珪くんがいなくなるなんて。
もう、一緒にデートもできなくなるかもしれないなんて。
でも。
わたし。
珪くんにもっと素直になってもらいたい。
そんな理由。
ダメ……かな?
「珪くん」
「……ああ、おまえか……」
コーヒーをトレイに乗せ。
珪くんにモカを渡す。
この間の事を引きずってか。
珪くんはあまり喋らない。
「あ、あの……」
「……ん?」
「……この間は…………ごめんなさい……」
「…………もういい」
「珪くん…………ドイツに、行くの……?」
「おまえ……何でそれ知って」
珪くんは目を大きくしてわたしを見る。
でもすぐ。
わたしの後方に視線を送り。
その原因を察したようだった。
「ああ……洋子姉さんか」
溜息をつく。
「……行く気はない」
「………………」
「おまえ何? 洋子姉さんに何か頼まれたのか?」
珪くんの瞳に。
あの時のような。
光を帯びていて。
「だって……珪くん…………ご両親があっちに……」
「だから行く気ないって言ったろ」
「でも……珪くんと暮らしたがってるって……珪くんもいろいろ話したい事あるでしょ……?」
ぴた、と。
珪くんがコーヒーを飲む手を止めた。
わたしを見据え。
怒ったように。
「おまえ、俺がドイツへ行ったほうがいいって言うのか?」
「珪くん……だって」
「……もう、いい……!」
珪くんは舌打ちをして飲みかけのコーヒーを乱暴にテーブルに置き。
わたしの横を素通りし。
スポットライトの当たるセットに歩き出した。
また。
お節介。
珪くん迷惑がってる。
どうして、どうして。
わたしのする事全てが裏目に出てしまうんだろう。
珪くんとこうなりたいわけじゃない。
珪くんとずっと笑い合っていたい。
なのに。
また。
怒らせた。
嫌な思い……させちゃった。
視界がぼやけて周りが見えなくなるのを堪え。
珪くんの置いたカップをトレイに乗せ。
静かにドアを開け。
スタジオを後にした。
胸が痛い。
知らない珪くんばっか見てる。
知らない……?
昔の、珪くん?
最初に会った頃の珪くんに。
戻ってる?
最初はなかなか心を開いてくれなかった。
珪くんの考えてる事を知りたくて。
わたしの知らない珪くんを知りたくて。
だから珪くんとたくさんお話しようと思ったんだ。
せっかく。
ここまで仲良くなったのに。
もしかしたら。
もう。
ダメなの?
悲しいけど。
珪くんがご両親に心を開いてくれないのは悲しいけど。
また、戻りたい。
前のように。
話をしたい。
お願い。
珪くん――。
「rip」 |
20060704 |