調律する。
もうひとつ、あとひとつと微妙な音階のずれを直していく。
弾いては直し、弾いては直す――。
そしたら……もう始まりはそこにある。
俺は朝から機嫌が悪かった。
いつも通り普通に起きて普通に飯食って普通に登校してきたはずなのに。
毎日と何も変わらなかったのに。
それらがそれをぶち壊す。
「葉月く〜〜んっ!」
「これ貰って! 昨日私が作ったの」
「ちょっと、私が先よっ! ねぇ葉月くん」
何で朝っぱらからこんな目に合うんだよ。
廊下で俺の周りに知らない女たちが群がる。
甲高い声しか聞こえない。
耳障りでしょうがない。
半ば強制で色とりどりな箱やら袋やらを持たされる。
俺の気持ちなんてこうなったらもう無視だ。
処理に困るプレゼントをどうしようと、深い溜息をつきながら恨めしそうにそれらを見る。
と、俺は気付く。
顔を上げ、周りを見渡す。
目的のそれがいないことにほっとした。
俺はいつの間にか。
自分のそんな姿を……あいつに見られたくなかった。
何故かは分からない。
ただ単に見られたくなかった。
俺はそんな人間じゃないと、あいつに思わせたかったのかもしれない。
でもそんな思いもつかの間。
廊下でそんな女たちに囲まれてる俺の目にふと赤がかった褐色の髪を捉えた。
樋渡だった。
幸いにもあいつは俺を見てなかった。
気付いてなかった。
一生懸命人を探しているようだった。
でもそれは俺でなくて。
「三原くーん!」
「おや、何だい? 樋渡くん」
「へへへ、いつも三原くんにはお世話になっちゃってるからね、お礼」
「おやおや、チョコじゃないか。 いいのかい? ボクが貰っちゃって」
「いいのいいの、これくらいしかできないけど……ごめんね? 売ってるもので」
「ありがとう。 君がくれたものならボクは大事に食べるよ!」
「ホント? 嬉しい!」
俺でも今日が何の日か知ってる。
何か期待してるわけじゃない。
でもあいつは。
樋渡は。
三原、守村……氷室にまでチョコをくれていた。
……何か期待してるわけじゃない……。
ただ……見たくなかった。
そんな樋渡の姿。
あいつにとってはただの友達にすぎないのかもしれない。
鈴鹿にしても姫条……だっけか……にしても。
でも。
その中に意中のヤツがいてもおかしくはない。
そう考えると俺は無性に腹が立った。
あいつにとってはただの友達にすぎないのかもしれない。
俺は。
俺は……。
俺は……?
俺はどうなんだ?
あいつは俺にとってただの友達なのか?
ただの仲のいい友達にすぎないのか?
なら……俺が腹を立てる理由なんかないだろ。
でも……でも俺はあんな自分を見られたくなかったし、そんなお前を見たくなかったんだ。
だから1時間目が終わった後の休み時間ずっとトイレにいた。
女につかまるのはもうごめんだった。
また……樋渡は男にチョコを配ってるだろうから。
2時間目が終わると俺は屋上へと上がった。
冬の割には雲がなく暖かくて。
それから、ずっとサボっていた。
昼寝していた。
4時間目を終えるチャイムは聞こえたが、俺は起きる気がしなくて。
そのまま寝ていたら。
「葉月くん!」
樋渡の声で目が覚めた。
「何でこんなとこにいるのー? もうっ、3時間目と4時間目いないんだもん! 探しちゃったよ!」
ぷうっとふくれる樋渡が見える。
ようやく俺は身体を起こす。
「どうかしたの?」
樋渡が俺の顔を覗き込む。
よせ。
今の俺はおまえの顔をまともに見れない。
何故だかは分からないけど……。
「お昼、まだだよね? 一緒に食べよう。 葉月くん買ってないと思ってさっき購買で買ってきたんだよ」
俺の前にパンと牛乳を差し出す。
何でおまえは俺にここまでするんだ……?
俺はおまえに何もしてないのに……。
「あのね、葉月くん」
「……?」
「あの……これ……葉月くんの周り女の子ばっかりでなかなか渡せなくて……ごめんね」
樋渡はおずおずと金色のリボンで縛られた赤の四角い箱を目の前に出した。
「チョコ。 今日バレンタインだから」
びっくりした。
まさか樋渡から貰えるなんて少しも思ってなかったから。
「これね、その……手作りなんだ……よかったら……」
手作り……?
おまえさっき売ってたヤツだって……。
「その、あんまり自信ないんだ。 だから美味しくなかったら捨ててね?」
舌を出して樋渡は笑う。
「…………開けていいか?」
「え? あ、ちょっと恥ずかしいな……」
リボンを解いて箱を開けると甘い匂いがした。
手作りらしく少し不恰好ではあったが、一生懸命作ってくれたチョコ。
既製品でないことはすぐに分かる。
目が赤くなってる。
夜遅くまで作ってたのか?
「他の男にも?」
「みんなのは昨日商店街で買ったチョコ。 ちょっと安めだけど……あ、ナイショね」
「ああ……サンキュ」
一口食べた。
俺は単純なのかもしれない。
さっきまでの怒りなんかどっかに消えていた。
樋渡と一緒に過ごした昼休み。
あまりにも天気もよくてまた昼寝しようかと思ったら樋渡に止められた。
授業ちゃんと出ないとダメだよと。
俺の手を引いて階下に降りる。
樋渡の手は温かくて。
この手を俺は。
ずっと離さず繋いでいることがあるんだろうかと。
おぼろげに、無意識に、思っていた。
学校が終わって仕事場に向かった俺は。
バイトじゃなかったけど学校で貰ったチョコを全部スタッフに渡した。
樋渡から貰ったチョコ以外。
今まで好きじゃなかった。
甘ったるくて、毛嫌いしてた。
けど、好きになるかもしれない。
口に含んだビターチョコがとても美味く感じたから。
と同時に。
俺の中の前奏曲の旋律が響き始めた。
「overture」 |
20041012 |