……少し甘く見てたのかもしれない。
このくらいで引くわけないと。
理由はたぶん。
二日前の雨。
あいつとのデート。
帰りに雨に打たれた。
あいつの家の近くの公園で雨宿りしたけど。
あいつの弟が傘を二本持ってきてくれたけど、おまえら一本ずつ使えと。
俺は雨の中に身を放り出して走って帰った。
『太陽なんて出なくていい……雨なんて止まなくていい…………このまま世界中に雨が降り続けて世界の終わりが来ても……おまえがこうして隣にいてくれれば俺は……』
……何を言おうとしたんだろうな、俺。
おまえ……目を見開いて俺を見てたっけな。
あの後……大丈夫だったか?
まさか風邪なんて引いてないよな……?
何とか居間に辿り着いて救急箱の中にある体温計で熱を測ったら……38.6度。
ああ、どうりで……ふらふらすると思った。
普段低温である俺がここまで上がるのも尋常じゃない。
もうどうやって階下まで降りたかも定かじゃない……。
学校も今日で……二日休んでる。
ああ……もうだるすぎる……何も食いたくない……。
何とか部屋まで行こうと階段の手摺に掴まる。
その時丁度。
玄関でインターホンが鳴った。
どうせ……新聞か何かの勧誘だろう……。
俺はそのまま放っとこうと階段を上り始めた。
でも一向に鳴り止まない。
俺はイライラしながら受話器を取って応対する。
「………………はい……誰?」
『あ……あの……』
何度の電話で聞き慣れた声が俺の耳に届く。
慌てて電話のモニターを確認すると。
そこには……。
『あの……わたし……樋渡ですけど……』
俺はすでに音を立てて玄関のドアを開けていた。
受話器は投げ捨てられ、壁にかけられてる電話に吊るされている。
「……夏野…………どうした……?」
びっくりした夏野はひどく目を大きくし、俺を見る。
玄関を出て門扉を開ける。
「あの……珪くんが風邪で休んでるって聞いたから……お見舞いに……てゆーか、珪くん……」
「何だ……?」
「熱、何度あるの?」
「38……9度くらいかな……」
「やっ、やだ! 寝てなきゃダメじゃないっ!!」
慌てて俺の腕を掴んで二階に連れて行く。
途端、夏野は俺に振り向き尋ねた。
「珪くん……着替えは? してる?」
「……着替え?………………着替え……」
何とかここ二日の記憶を辿り、ようやく出した答えは。
「……してない」
「やっぱり。 パジャマ濡れてるよ。 着替えた方がいいね、替えのパジャマある?」
「ああ……ちょっと待ってろ…………あそこに……」
「わたしがするから! ね?」
踵を返す夏野の腕を掴み。
強引に俺の方へ向けた。
「おまえ……風邪、引いてないか……? 大丈夫だったか……?」
夏野はかなりビックリした様子で俺を見る。
「う、うん……わたしは大丈夫。 あの後すぐ着替えたしね。
ごめんね、珪くん。 携帯に電話したんだけど繋がらなくて……でも来ていいのか分からなくて……」
「バカ……気にしなくていいだろ、そんなとこ」
「うん……でもごめんね? さ、珪くん、パジャマ」
そういえば携帯は電源切ってた。
おまえからの電話じゃ……入れとけばよかったと思う……。
でも。
……ほっとした。
おまえが風邪なんか引いたら……責任感じる。
俺が指示する場所から洗濯済みのパジャマを引っ張り出すと少し躊躇したようだった。
「珪くんは病気だもんね……今は病人だから…………病人……病人……」
今の俺にはよく理解できなかったが、夏野は何かを自分に言い聞かせるようにして俺に向き直った。
そして俺のパジャマのボタンに手をかけようとする。
けど。
3つ目の所で。
「………………」
「……? ……どうした?」
「ご、ごめんっ! やややややっぱ自分できるかなっ!?」
慌てて俺に背を向ける。
俺は取り敢えず夏野からパジャマを受け取り、自分で脱ぎタオルでカラダを拭く。
「……どうした?」
「え!? い、いやー……あの、その……裸見られたらイヤかなと……」
「別に……カラダ見られても……というか何回か、見てなかったか……?
海水浴とかで……」
「それはそれっ! それに……わ、わたしがよくないからっ!」
「……?」
やっぱりよく分からなかったけど。
乾いたパジャマに着替える。
夏野に身支度が終わった事を告げると、ベッドに無理矢理寝かされて布団を頭までかけられた。
夏野の手が俺の額や頬に触れる。
「ああ……やっぱ熱がすごいね」
「…………いな」
「え?」
「おまえの手、冷たくて気持ちがいい……」
そのまま俺の熱を冷やしてほしいくらいにひんやりとした手。
「いーい? 珪くんは熱が下がるまで起きちゃダメ!
あ、ご飯の時は起きれたら起きてね」
「……はい」
「ちょっと待ってて、すぐ来るから」
部屋を出て一階に下りて。
言葉どおりすぐ夏野は戻ってきた。
水の入った洗面器。
タオルをそれに浸して絞ったモノが俺の額に乗っかった。
「気持ち悪くない?」
「ああ……」
「ああ、それは良かった」
汗ばんだパジャマを手に取り部屋を出て行こうとする。
「夏野……」
「んー? なーに?」
「どこ、行くんだ……?」
きょとんとして俺を見た。
でもすぐ笑顔になって。
「心配しなくてもいいよ、ちゃんとここにまた来るよ。
でもちょっとだけキッチン貸してね。 何か作ってくるから」
手を振って夏野はドアを閉める。
静かになった俺の部屋。
ぼんやり天井を見る。
こんなに安心して寝れるなんていつ以来なんだろう。
夏野がいてくれる。
この家にいてくれる。
それだけで。
安心して。
深い眠りにつける。
不安な夜なんか過ごさないでずっと寝れたら。
どんなにいいだろう。
額のタオルの冷たさが変わって俺は目覚めた。
「ああ、起こしちゃった? ごめんね」
「…………いや、平気」
「ご飯できたの。 起きれるかなー……?」
俺は何とか身を起こして、ベッドに寄りかかった。
「お粥。 ちゃんと食べてね」
「……ああ」
夏野はスプーンでお粥をすくい、ふーっと息を吹きかける。
「はい、あーん」
「………………」
「ほら、珪くん」
「“あーん”って……」
「病人なんだからおとなしく言う事きくのっ」
仕方なく俺は口を開ける。
少し冷めたおかゆが口に入る。
固すぎず柔らかすぎずちょうどいいお粥。
少し恥ずかしい気もしたけど、まだ頭が少し朦朧としてる状態。
普通に食えるかどうかも怪しい。
それでも夏野の作ってくれたご飯を食べ終わると、薬を飲まされた。
あまりの苦さに顔をしかめる。
「うん、これでぐっすり眠れば良くなるかな? あ、でも明日はもう一日お休みしてね」
「ああ……」
「今日はこれで帰るね。 何かあったら連絡ちょうだいね、わたし急いで来るから」
学校のカバンを持ち、立ち上がる。
最後にタオルをもう一度濡らして。
「送る……」
「あ、珪くん、それはムリ。 珪くん病人だもん」
「でも……心配」
「大丈夫だって! まだ6時だし。 でも本当に何かあったら言ってね? また明日も来るからね」
「…………」
「ん? どしたの?」
「なんだか……」
「え?」
「おまえ…………」
「なぁに?」
「………………いや、なんでもない。 気をつけて帰れよ」
「?」
夏野も分からない顔をして、帰っていった。
さすがに熱があって自分がよく分からなくなってても。
………………奥さん、みたいだな。
言えなかった。
恥ずかしくて。
また、今度だ。
でも病めば夏野が来てくれるなら。
俺は、毎日でも風邪でもいいな、と。
思いながらまた眠りに落ちていった。
というより。
俺……また熱…………上がった気がする……。
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20060410 |