わたしが初めて彼に名前で呼ばれた日。
わたしが初めて彼を名前で呼んだ日。
昼休み、校舎の裏。
紹介された、わたしと同じ名前。
マイペースでトロそうだからって。
わたしは「そんなことないもん!」と抗議したけど彼は笑って軽く否定した。
やっぱり見れば可愛くて。
猫の『夏野』はわたしの足元でじゃれついてる。
「こいつら、耳の後ろとか気持ちいいみたいだ」
アゴの下を撫でてやってそのまま耳の後ろまで人差し指でこちょこちょっとすると。
気持ちよさそうに『夏野』は目を細くする。
他にもいる大きい猫はお母さんで。
ちょっと大きめな子たちは兄弟かな?
珪くんはしゃがんで壁にもたれ、猫の一家にさっきコンビニで買ってきたツナ缶を出す。
缶を開けた音に過敏に反応して猫ちゃんたちは、差し出されたツナ缶に一斉に群がる。
「ああ、ほら『夏野』、ちゃんとエサ貰えよ」
「『夏野』、かわいいねぇ」
「ああ……いつもエサ食べ損ねたりするんだ。 もうちょっと食べて大きくなってほしい」
『夏野』はエサを貰えずじっと珪くんを見て「みゃあ」と鳴く。
珪くんは小さく溜息をつき、もう一つ買ってあったツナ缶の蓋を開け『夏野』の前に置いた。
『夏野』はお腹が空いてたのだろう、一生懸命食べ始める。
わたしたちもお昼にしようと、わたしは自分のお弁当を。
彼はツナ缶と一緒に買ってきたパンを袋から取り出し、食べ始めた。
初めて珪くんとお昼一緒に食べるんだけど、なんか物を食べるイメージがなかった。
なんでだろ、モデルさんだからかな? 珪くん痩せてるし。
新鮮だななんて思いながらわたしはずっと見ていた、珪くんを。
こんな嬉しそうな珪くん、見たことなかった。
食べ終わった『夏野』が珪くんの足に頭を擦り付けてきた時。
珪くんは軽く抱き上げて頭を撫でてやった。
「ははは、よせよ。 そんなに舐めるなって」
『夏野』が珪くんの頬を舐めると。
くすぐったそうに珪くんは笑った。
いつものように静かに笑うんじゃなく。
声をあげて。
初めて、見た。
普段眠そうな顔してても端正な顔立ちをしてるのに、笑ってもやっぱりカッコよくて。
笑顔が素敵な人だった。
いつも敬遠されがちな珪くんだけど。
やっぱりみんなは勘違いしてる。
なっちんもタマちゃんも。
瑞希さんも志穂ちゃんも。
いつか分かってくれるかな……珪くんはとっても優しい人なんだよ。
そんな珪くんがわたしに無防備な笑顔を見せてくれて。
心を許してくれてるみたいで。
嬉しかった。
わたしだけだったら……と思ったその時。
珪くんは『夏野』を下に下ろし、少し照れたようにわたしから目を逸らし言った。
「こいつらの事……他に誰も知らないから」
「え?」
「俺、誰にも言った事ないんだ。 だから内緒、な」
珪くんと秘密を共有した。
たったそれだけの事で嬉しくて。
わたしたちだけの事だと思うと、図々しいかもしれないけどわたしだけ特別じゃないかなって思っちゃったりする。
「へへ、ありがと」
「……? 礼を言われるような事か?」
「珪くんは……いつもコンビニなの? お昼」
「いや、いつもはだいたい購買のパン、かな」
「じゃあ、珪くんの秘密を教えてくれたお礼。 明日わたし珪くんのお弁当作ってくるね」
珪くんは目を見開いてわたしを見た。
もしかして……かなり驚いてる?
「い、いや……いいよ。 悪いから」
「いいのっ! どうせわたしのも作るんだから一つでも二つでもおんなじ!!」
今日は珍しい日かも。
動揺してる珪くんなんて。
珪くんのいろいろな表情見れて。
珍しい?
ううん、特別な日かもね。
「……なんだよ、ニヤニヤして」
「いいもんっ、何言われたって今日は許しちゃうっ!」
「…………ヘンなヤツ……」
昼下がりの休み時間。
お腹もいっぱいになって眠くなって、予鈴が鳴るまで二人でちょこっとしたお昼寝をした。
短時間でも笑顔な珪くんの夢が見られるように願って眠りについた。
逢えたのは……珪くんじゃなかった。
ううん、「笑顔」には逢えた。
でもそれは珪くんのものではなく。
とっても小さい男の子の笑顔だった。
5、6歳の男の子。
赤や青や黄色などの綺麗な光を背にしていた為か。
顔は分からなかった。
でも……笑顔だった。
笑ってた。
髪の毛もキラキラしてた。
……外国の男の子?
わたしの名前を呼ぶの。
何度も何度も。
でも最後には。
「さよなら」と。
悲しく笑ったの。
また逢えるから。
またしてやるから。
だから泣くなと。
「夏野!」
パッと目が開く。
見れば爽快な青空の下、太陽の光を受けて輝く髪の毛。
珪くんが肩を揺さぶってわたしを起こしていた。
「あ……珪くん」
ほっと一息つく珪くん。
「ようやく起きたか……よかった……」
「へ?」
「もう予鈴鳴った。 おまえなかなか起きないから…………それに……おまえ」
珪くんの言葉を聞きながらわたしは視界が揺れてぼやけてるのに気付いた。
泣いていた。
寝ながら泣いていた。
「大丈夫か?」
制服のズボンのポケットからハンカチを取り出し、わたしに差し出してくれた。
「あ、ありがと……」
「どうしたんだ? 何か怖い夢でも見たのか……?」
「夢……男の子が出てきて…………わたしの前からいなくなっちゃうの」
覚えてる、あの夢。
確か入学式の時に見た。
あの時も、わたし泣いてた。
悲しくて悲しくて。
男の子は出てきてもどこかに行ってしまう。
なんで、今頃夢を見るんだろう。
あの男の子もわたしの名前を呼んでいた。
「夏野」と。
今日初めて珪くんに名前を呼ばれた、から……?
「ほら、行くぞ」と腰をあげ、わたしを立たせてくれた珪くんの後姿を見た。
珪くんの髪の毛も色素が薄いせいか光に当たると何とも言えないほど綺麗に輝く。
珪くん………………のわけない。
重なって見えてしまうのは、夢のせいだよね?
そんな偶然、あるわけないもんね?
「珪くん、ハンカチありがとう」
「……ああ」
「えへ、珪くんでもちゃんとハンカチ持ってるんだ。 エライね」
「……もう大丈夫か?」
「うん! ホントごめんね? ヘンなトコ見せちゃった」
わたしは猫ちゃんたちにバイバイを言った。
その時の珪くんの……とても複雑な表情なんて知ることもなく――。
「kaya」 |
20041219 |