今日が最後の高校生活。
胸に花のリボンを添え。
天之橋さんの送辞を聞き。
友達と抱き合い泣き合い。
わたしは――。
学校中を見て回った。
どこもかしこもが沢山の思い出を秘め。
懐かしく目を細めながら学校内を歩く。
教室、家庭科室、体育館……。
屋上まで出て遥か彼方の水平線を見つめる。
「この景色ともお別れだね……」
一度三原くんと見たことあったなぁ、朝焼け……。
綺麗だった、すごく。
屋上をぐるっと回り歩き。
ふと眼下に中庭の花壇が見える。
周りは卒業生や下級生でいっぱい。
守村くん……一生懸命花を育ててたっけ。
屋上を後にし、廊下を歩いてく。
そういえばここで姫条くんと最初ぶつかったんだよね。
廊下で遊んでた鈴鹿くんにもボール当てられたりして。
日比谷くんも学年が違うのに、よく3階まで来てくれたっけ。
沢山の思い出がある。
すごく楽しかった学校生活。
もう、お終い。
そう考えると、胸にこみ上げてくるものがあって。
鼻をすする。
ふと。
何気に見えた校舎裏の教会。
一度も入ったことがなかった。
行ってみようか。
この学校中で一番思い出のある場所。
一生忘れられない思い出の場所。
外に出て、とても卒業式の風景とは思えないほど静まりきってるそこは。
別世界のようで。
ここで。
わたしは。
出逢ってしまった。
本当は逢う事はなかったのかもしれない。
だけど。
たぶんこんな恋は最初で最後だと。
わたしにこんな感情をくれたあの人に。
「ありがとう」と伝えたい。
隣で笑っていられるのは、わたしじゃないけど。
あの人の前でいい笑顔で笑えることはないわたしだけど。
わたしは。
教会のドアが半開きになってることに気がついた。
……入ってみようか……。
わたしはそのドアを引き、中に入る。
目の前には真紅のバージンロード。
その先には大きなステンドグラス。
とてもこの世のものではないほど綺麗に輝いていた。
『見て……あのステンドグラス…………』
わたしの中で。
何かを思い出す。
懐かしい。
声と言葉。
「……?」
中に進んで、パイプオルガンやキリストの像を見て。
わたしは一列目の席に。
古い本が置いてあるのに気付いた。
絵本……?
色は褪せてて。
タイトルも英語ではない外国の文字で書かれていて何と言う題名かも分からない。
そっとめくってみた。
そこには。
わたしの記憶を揺さぶるような。
挿絵が描かれていた。
見たこと、ある。
『王子様とお姫様のお話……俺、好きなんだ…………』
先ほどの声。
何かが頭の中を巡る。
分からない。
お姫様が王子様を待って祈りを捧げる。
その時一緒に見たステンドグラス。
小さいから見上げてた。
それが何か分からなくて確か教えてもらった覚えがある。
ああ、夢だ。
何度か見たことのある夢。
『……もう行かなきゃ……』
笑顔で。
悲しい笑顔でわたしを見ていた。
『……もう、しばらくここへは戻れない……』
そう言って。
『父さんの都合で……外国へ行くんだ……』
わたしはイヤだと泣いた。
声が枯れるまで泣いた。
涙が枯れるまで泣いた。
そして。
『きっと、逢えるよ……そしたら俺……お話の続きしてやる……』
した。
約束。
指切りをして。
お話をしてくれる約束と。
もう一つ。
『泣くなよ……』
お母さんに迎えに来てもらい、手を引かれてた時。
あまりにも離れたくなくて。
振り返って男の子を見た。
その子は。
その男の子は。
今と同じようにステンドグラスに太陽の光が注ぎ込み、その輝きを背に受けてわたしを見ていた。
髪の毛がキラキラ……していて……。
悲しそうな瞳は……わたしたちとは違う……色、で……。
もう、一度…………会いたい、と。
これは……夢、じゃない!
わたしは急いでその絵本の続きを読もうとした。
文字は読めなかったけど……絵で分かるかもしれないと。
パラパラめくっていくうちにだんだん挿絵がよく見えなくなってきた。
それと同時に本の上にはいくつもの水滴が零れ落ち。
跡を残す。
「あ…………あ……っ!」
愕然としその場に座り込んだ。
見たことのある挿絵に。
顔を覆って。
声を出して泣いた。
お母さんが困ってた。
泣き止まないわたしに。
次の日も教会に足を運んだ。
何日も何日も行ったけど男の子に逢える事はなかった。
それからすぐにわたしもはばたきを離れた。
あの日々は……夢だったのかな。
夢だった……のかもしれないな。
時が経つにつれそう思い、いつしか閉じ込めた記憶。
でも男の子との「泣くなよ」の約束。
心の片隅にあったんだろう。
それだけは守って。
生活してきた。
――夢なんかじゃないに決まってるのに。
――あんな鮮明に覚えてる夢なんかあるわけないのに。
わたしは。
後悔した。
一番、今まで一番。
生きてきた中で、一番。
そして。
この自分に嫌気がさした。
一番そばにいたのに。
一番近くにいたのに。
自分の中で一番だったのに。
教会の男の子は珪くんだと。
全然気付きもしなかった。
なんで……?
なんですぐに気付かなかった……?
あの男の子は……珪くんは。
わたしの初恋の男の子じゃ、なかったの……?
もう……。
遅い……。
もう取り返しがつかない。
待ってるって約束したのに待っててあげられなかった。
できることなら。
今一度会って謝りたい。
それが叶わなくても。
神様が無理だと言っても。
その時わたしは気付かなかった。
教会のドアが少し開くのを。
「ここに……いたのか……」
わたしは声のする方をゆっくり向いた。
そこには。
あの時と同じ容姿をした。
彼がいた。
「捜した……」
わたしは声が出なかった。
身体も動かなかった。
今しがた逢いたいと思ってた人。
ずっとずっと……逢いたかった人。
「卒業式……出た…………気づかなかったろ?」
「え……」
「ギリギリ間に合った」
「珪くん…………」
「…………泣くなよ……」
今はきっと。
珪くん困ってる時だね。
あの時も同じ顔をして同じ事を言った。
「でもね……でも」
「………………」
珪くんはそっとわたしの膝の上の本を取った。
「………………」
「珪く……ごめ、ん……わたし…………わたしね……」
「ずっと……ここに置いたままだったんだ……」
「…………え……」
「これ持ってたら、俺……忘れられなくなるから…………俺の初恋……結局忘れることなんかなかったんだけど」
え……?
「俺の祖父さんの形見なんだ。 よく聞かされたんだ」
いつか観覧車に乗った時に教えてもらった「お話」……。
珪くんが泣くといつも聞かせてくれた……「お話」。
「続き……話してやるって約束しなかったっけ?」
わたしは後から後から溢れてくる涙に。
言葉も出なくて頷くばかりだった。
彼は笑ってくれた。
「……思い出したか?」
頷くだけ。
嗚咽しか出てこない。
「ガキの頃……毎日おまえに会うのが嬉しかったんだ。
あんなに楽しかった日なんかそれまでそんなになくて……俺は」
一旦切ってまた話し始めた。
「それからおまえの事忘れなかったんだ……中学に入る頃こっちに戻ってきて……モデルも始めて……高校に入って………………おまえに逢えた」
「………………」
「でも無理はない……あれから10年近く経ってるんだ」
やっぱり涙は引かない。
心苦しくて。
申し訳なくて。
珪くんは寂しそうに笑顔を作って。
「すぐに分かったよ。 おまえ全然変わってなかったから」
「…………珪……」
「俺は……黙ってようと決めた。 あの頃と違うから……変わったから、俺……見てほしくなかったんだ」
「け、いくん……」
「最初……諦めようと思って…………自分にウソついて、自分の気持ちに気付かないフリして……でも、おまえは違った。
どんどん俺の中に入ってきて……俺に足りないものを少しずつ分けてくれたんだ……」
「………………」
「いつからかな……もう俺は自分にウソがつけなくなってた……あの頃と同じ……感情をおまえに抱くようになった……」
珪くんは指でわたしの涙を拭ってくれた。
「俺…………“他に”って、言わなかったよな?」
「……?」
「“おまえの他に好きな女がいる”って言わなかったよな……?
でもおまえにあんな事言ったら……誤解するよな、普通」
「…………え」
「こないだの話……おまえの事」
「……え?」
「俺の好きなヤツ……おまえだったんだ」
外国の言葉でも聞いたかのように何を言われてるのか、脳に浸透するまで時間がかかった。
「最初に会った時からずっと……おまえが好きだったんだ」
「……珪く……」
「おまえを……誰にも渡したくない」
逸らすことすら許されないその瞳は。
わたしの心をがっちり捕えて離さなかった。
「珪くん……わたし…………」
「………………」
「わたしね、ずっと……ずっとずっと珪くんの事が好きだった」
「夏野……」
「何気にくれる笑顔も、森林公園で見せてくれる寝顔も、悲しくなるけど少し怒った時の表情も全部好きだったの……でも、ごめんね?
わたし全然気付いてやれなくて……約束したのに……珪くん、どんな気持ちでわたしのそばにいてくれたのか……考えるだけでも……本当に、本当に…………」
泣くことを止めないわたしを珪くんは。
わたしを抱き締めてくれた。
二度目のそれ。
姫条くんのとは違う。
珪くんの胸はやっぱり広くて。
温かかった。
「夏野……俺とこれから………………この先ずっと付き合ってくれるか……?」
「わたし……?」
「そう、おまえ」
「………………わたしで……いいの……?」
「ああ、おまえじゃなきゃダメだ」
何度も何度も背中を撫でてくれて泣き止まそうとしてくれた。
ごめんね、と何度も謝った。
謝っても謝りきれない。
「いいんだ……今こうしておまえが俺の傍にいてくれるなら……」
「いる……ずっといる……」
しばらくそうして、彼は。
ブレザーのポケットから一つ光るものを手にした。
わたしの左手を取り、薬指にはめてくれたもの。
四葉のクローバーのリングだった。
「『私は深い森を抜けやってきました……再び巡りあうため……あなたを迎えに来たのです』……何も持ってない王子はクローバーで編んだ指輪を姫にはめ、こう言うんだ……『あなたは私の心の幸い、二人は今永遠に結ばれたのです』」
「永遠……」
「永遠。 おまえだろ……? クローバーくれたの」
「え……?」
「それで思い出した。 この物語も……クローバーの指輪だった」
わたしの手を握り。
指輪を擦る。
「綺麗……」
「夏野」
わたしの顎をわずかに上げ。
静かに珪くんがわたしに近づく。
重なる唇。
それはわずかな一瞬。
「ごめん…………ずっと……ずっと素直になれなくて……おまえに酷い事して、酷い事言って…………傷つけて……」
首を振った。
珪くんがこんなに近くにいる。
それだけで、わたし。
「夏野……俺…………おまえを愛してる」
「……珪くん……」
「もう離さないから……もう離れないでくれ…………だから」
珪くんは笑ってくれた。
わたしがずっと。
ずっと見たかった笑顔。
「俺たちの永遠…………ここから始めよう」
昼下がりの教会。
太陽に照らし出されて色が薄められたステンドグラスがその影を床に映し出す。
その色とりどりの影の中、重なる2人の姿。
再び重なった唇は離れることを知らず。
時が止まったかのように。
燦々と降り注ぐ鮮やかな色の雨に二人はしばらく打たれていた。
「don't leave me」 |
20060710 |