HRも終わり。
下校時間。
みんなが部室や昇降口までカバンを持って教室を出る。
わたしも机の中の教科書や参考書をカバンに入れようとして。
でも。
後ろが気になって。
その手が止まる。
わたしのすぐ後ろに座る珪くん。
珍しく眠っていなかったのか。
早々にカバンを持って帰ろうとする。
『今日一緒に帰るか?』
いつも言ってくれる言葉と笑顔。
今日は。
今日も。
なかった。
わたしは教室から出る珪くんの後姿を。
見てるだけしかできなかった。
小さく溜息をつく。
「夏野ー! 部活行くー?」
「あ……うん、もうちょっとしたら行くよ」
クラスの同じ手芸部のコが声をかけてくれた。
部活も。
本当の所。
気が乗らなかった。
珪くんと。
何も話せないのが。
こんなにもツラい事だなんて。
全く思いもしなかった。
気づけば誰もいなくなった教室。
わたしひとりしかいない。
廊下に出て窓の外を見る。
中庭を歩く男の子と女の子がいた。
笑い合って。
小突き合って。
付き合ってるのか。
それはとても仲良さそうに。
あんな風に。
もう珪くんとは話せないのかな?
あんな風に珪くんとお付き合い……出来ないのかな……?
校庭では野球部やサッカー部の人たちが準備運動をしていた。
もう部活……始まってる。
少し……気を紛らわせた方がいいのかな……。
再び教室に入り。
カバンに本を入れようとすると。
「夏野ちゃん……まだいたん?」
姫条くんが教室の入り口に立っていた。
「姫条くん…………あ、今からね部室へ顔を出そうかと思って。
姫条くんは?」
「ああ……俺は……」
近づいてきてわたしの机の上の参考書を手にし。
「夏野ちゃんは……一流へ行くんか?」
「え……あ……」
姫条くんはパラパラと参考書をめくる。
「俺、こういうのダメなんだわ。 すぐ眠たなる」
「ふふふ、そうだね。 うん……できれば、なんだけどね……」
「……葉月と同じトコか」
それにわたしは何も返せなかった。
今更。
珪くんと同じ大学へ行って。
わたしはどうするんだろう。
迷惑かもしれない。
きっと。
だけど。
「行けたら、いいなって……」
「なぁ……夏野ちゃん」
「え?」
姫条くんは参考書をわたしに返して。
真っ直ぐわたしを見た。
「夏野ちゃんは……葉月じゃなきゃ……アカン?」
「え……?」
「アイツじゃなきゃアカンの?」
「姫条くん……」
珪くんより少し背の高い姫条くんを見上げる。
珪くんじゃなきゃ……?
だって。
わたしは……。
「夏野ちゃん……俺は?」
「え……」
「俺は……夏野ちゃんの中におらんの?」
姫条くんがわたしに近づいてきた。
ガタッと椅子を引き。
慌てて教室を出ようとする。
それを姫条くんが。
わたしの手首を握り。
制した。
姫条くんの腕が伸び。
わたしの体は。
姫条くんの胸に埋まった。
「姫条く」
「俺は……俺は自分がずっと……ずっと好きやった。
葉月が隣におっても……それでも…………夏野ちゃんが……」
「姫……」
「アカンのか……? 俺じゃ夏野ちゃん幸せにできんの……?」
どのくらいの時間が経ったんだろう。
すごく長かった気がした。
温かかった姫条くんの胸。
安心できそうなくらい大きな胸。
温かくて、大きくて。
でも。
わたしは。
目を閉じる事が出来なかった。
その胸に。
顔を埋める事が出来なかった。
「高校卒業したら俺は一流には行かんからもう会えへんかもしれん……せやけどな、俺は自分の事がめっちゃ好きやねん!」
「………………」
「時間があらへん……最後のチャンスや…………夏野ちゃん…………俺は……」
「…………わたしは……」
引き剥がそうとして。
姫条くんの袖に手をかけ。
丁度その時。
ガタン!と。
物が机にぶつかる音がして。
わたしはぱっと姫条くんから離れた。
眩暈がするように。
頭の血の気が。
熱と一緒に。
スーっと引いた気がした。
わたしたちを見ることはせず。
珪くんは忘れ物をしたのか。
黙々と自分の席に向かい。
机の中の教科書を取ると。
そのまま教室を出て行ってしまった。
「け……!」
「夏野ちゃん!」
「姫条くん……」
困ったように姫条くんはわたしを見た。
「知ってたんや……葉月と全然話さんの。 最近ずっと夏野ちゃん泣きそうな顔してんのも。
だから俺……夏野ちゃんの寂しいの埋めたかったんや……」
「姫条くん…………ごめんね?」
「夏野ちゃん……」
「わたしね…………珪くんのことがずっと……ずっと好きだったんだ」
「………………」
「珪くんは……ずっと寂しい思いをしていて……ほっとけなくて…………姫条くんがわたしに思っててくれた事とおんなじなんだ。
寂しいの、埋めてあげたかったんだ……」
「…………そっか」
「本当に……ごめんね?」
姫条くんはわたしに笑ってくれて。
「こうなるコトちゃーんと想定してたんや。 夏野ちゃんはいつだって葉月を選ぶて。
俺フラれてもーたけど、まだチャンスあったら夏野ちゃん絶対振り向かせたるわ」
「姫条くん……」
「行ってやり。 葉月、きっと誤解してんで」
「うん……ありがとう」
わたしはカバンを持って昇降口まで向かった。
「俺……結構お人好しだったんやな……あーカッコ悪」
姫条くんの独り言を聞くこともなく――。
「珪くん!」
走って校門を出て。
街へ下る道。
珪くんは通り沿いにある公園に入ろうとしていた。
わたしの声に。
振り返ることは、なかった。
「珪くん……お願い! 話を聞いて!」
珪くんの腕を掴んだ。
すると珪くんは歩くのを止めて。
息を吐いた。
「あのね……さっきのは全然そういうんじゃな」
「………………決定的だな」
「え……?」
「……おまえの思い通りにしてやるよ」
「珪……」
珪くんはクッとひとつ笑う。
それはいつも笑いじゃない。
優しさを。
微塵も感じなかった。
それにわたしは。
ぞくっとする。
「もう……おまえと二度と会う事はない」
……え?
今……何て……?
「さよならだ」
…………さよ、なら……?
もう二度と……?
会えない……?
どこ、行くの……?
ドイツ……?
「な……なん……!」
「……なんで? おまえが望んでた事だろ? ようやく分かった、その意図が」
「違う……! わたしは姫条くんとはなんでも……!」
「あんな場面見せられて何の弁解がある……俺には、おまえの好きな男なんて……関係ない」
「け……違う! 違うよ!! わたしが好きなのは……!」
腕を掴んでるわたしの手を振り解き。
その時わたしを初めて見た珪くん。
こんな珪くん、知らなかった。
その瞳は。
とても冷め切ってて。
何の感情も含んでなくて。
静かに。
口を開いた。
「俺にも好きな女、いるから」
気づいた時には。
珪くんは自分の家に行く角を曲がっていて。
その姿は見えず。
追いかける事も出来ず。
わたしはその場にへたり込んで。
手から落ちたカバンから出た財布も携帯もそのままで。
涙を流していた。
「あはは…………フラれ……ちゃった…………」
自分の気持ち、珪くんに伝えてないのに。
何も。
何ひとつ。
今のわたしを見た人はおかしいって思うかもしれない。
でも。
わたしは。
「あーーーーーーーーー!!」
叫んで。
泣いた。
わたしじゃない誰か。
珪くんはその人の事が好きなんだと。
わたしじゃない。
誰か。
ダメだった。
遅かった。
わたし。
どうしたらいい……?
珪くんにフラれて。
支えるものがなくなった気がした。
わたし自身、なくなりそうな気がした。
どうしたら、いい……?
誰か。
誰でもいい。
教えて。
わたしの涙は枯れる事なく。
とめどなく溢れてきて。
家に帰る気にもならず。
何も考える事は出来ず。
そのままずっと。
陽が落ちていくのを。
ずっと。
空を見上げ。
今までのいろいろな珪くんを思い出しながら。
眺めていた。
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20060705 |