「やあ、葉月。 久しぶりだね。 おや? この子は葉月の子供かい?」
「ええ、そうです。 珪、ほら」
「初めまして。 葉月珪です」
「いやぁ、こんなに小さいのにしっかりしてるねぇ。
英語も堪能じゃないか!」
つまらない。
本当につまらない。
何で知らないおじさん達に挨拶しなきゃならないの?
アメリカでビルの設計をした父さん。
そのビルの建築完成祝いのパーティー。
父さんだけでいいじゃないか。
「父さん、俺ちょっと外に行ってきてもいい?」
「ん? あんまり遠くへ行くんじゃないぞ」
「うん」
人込みにうんざりし、俺は一人でテラスに出た。
綺麗な服。
豪華な食事。
立派な建物。
……こんな所にいるよりドイツでおじいちゃんと一緒にいる方が全然楽しかった。
田舎町だったけど。
人も穏やかで。
そんな中で育ったおじいちゃんが本当に大好きだった。
怒ってるところを見たことがない。
いつもニコニコしていて。
いつもお話をしてくれた。
俺はあの話が大好きだった。
あの話をしてくれるおじいちゃんが大好きだった。
「何で……死んじゃったの……?」
おじいちゃんはお星様になったんだよと。
聞かされて。
もう会えないと分かったときには。
大泣きした。
胸が張り裂けそうだった。
俺も一緒に死にたかった。
そのくらいおじいちゃんが大好きだった。
おじいちゃんがいなくなったその後、ほんの少し日本へ戻った。
近くの教会を見つけ、そこにあったのはステンドグラス。
お話に出てくるそれと同じ。
俺は見入っていた。
それなのに。
「わぁ、すごい! 教会だー! 初めて見たー!!」
あの娘と出逢った。
それは。
落ち込んでいた俺を救い出してくれた。
一週間だけ。
たった一週間だけの友達。
それでも俺には、一生の時間を過ごしたよう。
もっと一緒にいたかった。
「元気かな……? 俺の事覚えててくれてるかな……?
俺……もう一度逢いたいな」
涙が出た。
おじいちゃんの時とまたちょっと違う。
きっと逢えない。
あの娘にも逢えない。
そう確信すると、俺は泣かずにはいられなかった。
「珪」
呼ばれて。
慌てて涙を拭う。
寂しいの。
知られたくない。
涙を見せたくない。
きっと父さんは困るから。
だから。
笑わなきゃ。
安心させなきゃ。
「うん、なんでもないよ」
「ああ、元気だよ。 何とか頑張ってる……ちゃんと食ってるよ……うん……」
俺は冷蔵庫を開け、ミルクを取り出した。
俺には広すぎる家。
いつもしんと静まり返るここには。
学校から帰っても「おかえり」と「ただいま」のやりとりはない。
ようやく日本に戻ってきた俺は、中学生になると同時に自分の家で一人暮らしをするようになった。
「大丈夫だよ……心配しないで……うん……ん…………ああ、母さんもね。
身体に気をつけて」
たまにかかってくる親からの電話。
煩わしいワケじゃないけど。
……何を話して良いのか分からない。
そんなつもりは全然ないのに。
また一つ嫌悪感に包まれながら電話を切る。
コップに入ったミルクを飲み干し、何気にテレビをつける。
特に見たい番組はない。
ただ……つけてるだけ。
はば学の中等部に入学して半年以上。
家から近い事が一番の理由だけど。
もしやと思ってここに入学した。
はばたきにはここ以外にも学校はあるのに。
もしかしたら、と。
もしかしたら同じ学校にいるんじゃないかと。
あの教会のある、この学校に。
でも、いなかった。
俺は……落胆した。
向こうは覚えてないのかもしれない。
でも、それでも。
俺はあの娘に逢いたかった。
写真もない。
ただ自分の記憶だけ。
それでも。
目を閉じれば。
瞳の大きさも。
高い声も。
髪の色も。
何もかも、覚えてる。
洋子姉さんのつてで。
モデルの仕事も始めた。
こんなバイト。
見世物みたいで嫌だけど。
もしかしたら。
もしかしたら…………気づいてはくれないだろうか……?
「珪?」
ハッとし、俺は顔を上げた。
そこはホテルの一室。
母さんが用意したホテルの部屋。
怪訝そうな顔をして俺を見ていた。
「ごめん……何でもないんだ」
「そう? ちょっと元気がないみたいね。 お父さんももうちょっとで来ると思うんだけど」
俺はベルリンの夜景を見る。
それはとても綺麗だった。
宝石を散りばめたような、とはこの事だろうな。
「……母さん」
「なぁに?」
俺は視線を夜景から外さない。
「俺がまだ5、6歳の頃、日本に戻ったの覚えてる?」
「ええ、勿論よ。 ちょっとの間だったけどね」
「……その時俺はあの教会に入り浸ってたんだけど……そこで女の子に逢ったんだ」
「ああ、覚えてるわ。 とても可愛い子だったわね」
「………………」
「夏野ちゃん、でしょ?」
俺はそれに答えなかった。
「今は無理なんだけど……」
「?」
「もし……もしもあいつが俺と同じ気持ちでいてくれるのなら…………」
「え?」
「……その時はここに連れて来るよ。 だから母さんにも会って欲しい」
ガラス越しに見る母さんは目を見開いて俺を見ていた。
でもすぐに笑って。
「ええ、連れてらっしゃい。 私もあの子に会いたいわ」
夏野。
これでいいか?
まだまだ時間はかかるけど。
おまえの言う『素直』に少しはなれたかもしれない。
本当にごめんな?
ずっと傷つけてきた。
ずっと泣かせてきた。
後悔ばっかだった。
おまえが俺の家を出てった時も。
バイト中の時も。
姫条に抱かれてる時も。
俺に残るものは後悔しか、なかった。
本当は。
引き止めたかった。
話を聞いてあげたかった。
抱き締めて、やりたかった。
なんであんな言い方しかできなかったんだろう。
なんであんな態度をとるしかできなかったんだろう。
おまえはただ。
俺に素直になるよう。
教えてくれただけなのに。
情けないだろ。
俺。
親にどう接すれば良かったのか。
ただそれだけなんだ。
分からなかったのは。
おまえに言ったか?
誰も帰ってこなかった家。
ずっと一人だった。
誰も。
帰ってこなかったらと思うと。
いつでも泣きそうになってた。
だけど。
そんな俺を見て親が悲しむのは見たくないから。
無理矢理にでも。
笑顔を作ってた。
そしたら。
本当の笑顔を。
作れなくなってた。
俺は不器用、だって。
夏野、おまえが。
教えてくれたんだ。
両親が嫌いじゃないんだ。
もっと話したいことだって。
たくさんある。
なのに。
素直に。
なれなかった。
なぁ、夏野。
あれから。
俺は。
おまえの事しか考えなくなったんだ。
おまえの怒った顔や。
おまえの悲しい顔。
笑顔も、全て。
自分から突き放したのに。
おまえがいなくなる事。
誰よりも怖かったのは俺だったのに。
勝手……だよな。
今度。
今度はおまえに素直になる。
俺の気持ち、ちゃんと言うから。
ちゃんと聞いてくれ。
それがダメになったとしても。
おまえの中に他の男がいたとしても。
それでもいい。
もうずっと隠してるよりは全然いい。
だから。
俺は戻るよ。
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20060707 |