私は肘掛の上で頬杖をついて。
胡坐をかいたその膝の上を指で叩いていた。
時折、大きな溜息。
目の前にいる連中は何も喋らない。
私の姿がよっぽど不機嫌に見えるのだろう。
「今、外に馬が来なかったか?」
「い、いえ……」
「誰か城に入って来なかったか?」
「な、長政様……」
「女の話し声が聞こえたろう?」
「あ、あの……長政様……姫様はまだ……」
再度。
溜息をつく。
苛々が増す。
「長政様……今日はもうこの辺で軍議を終えた方が……」
「何を言う。 まだ話し終えていないではないか!」
「で、でも……」
「む。 外が騒がしくないか?」
「な、長政様〜……」
確かに気も漫ろではある。
今しかないと言うのに。
こんな時に。
市の奴……実家になんか戻ってる場合ではないだろう。
今日も昨日も一昨日も快晴で。
今も近江の空には雲がかかってない夜。
だが夕刻、遠く西の空には怪しげな雲が。
明日は雨かもしれないだろう。
お前が見た事がないと言うから。
「ああ、くそ!」
見るに見かねた家臣が無理矢理今日の軍議をお開きにし。
仕方なく自室に戻る。
市なんか、もう知るか。
暫く小谷へ帰って来るな。
また、来年か。
私は溜息をつき、満天の夜空を見上げる。
“顔を見たいし近江での生活を聞きたいから、たまには帰って来い”との義姉の提案で。
市が織田に戻ってこの数日。
ひとりで見上げてた、夜空。
一年は。
短い様で。
長い――。
「長政様! 姫様がお戻りになられました!!」
この条件反射が自分でも嫌になるのだが。
私は即刻部屋を出て。
足早に外へと向かう。
耳を澄ませば、私の向かう方向からも足音が聞こえ。
息を切らせながら、階段を上がってくる市の姿が見えた。
「市!!」
「長政さま……ご、ごめんなさい…………今日のお昼に戻ると言っておいたのに……この時間になっ」
「もう良い、来い!」
市の手を引いて。
城の一番高い。
天守閣まで行く。
歩幅の広い私に。
市は既に小走りで。
それでも、早く見せてやりたくて。
天守閣に着き。
窓を勢いよく開ける。
「わぁ……!」
市が目を輝かせて。
欄干に手をかけ、身を乗り出し。
その夜空を見上げた。
市が落ちぬ様。
その腰を持つ。
満天の星空。
その中の光の、帯。
「天の川…………市、初めて……!」
安堵の息をつく。
ようやく見せられた。
織田にいる時には。
ただ一度も見なかったと言う。
「長政さま…………綺麗だね……すごく綺麗…………あ、今星が流れた……」
市が腕を伸ばし指を差す。
まるで子供の様にはしゃぐ。
お前が綺麗だと言うのなら。
それは綺麗なのだろう。
「市ね……尾張でも夜は外に出なかったし、帰る時もずっと籠から顔を出さなかったの……長政さまと一緒に見たくて……」
だったらすぐさま帰って来い。
私もその空を眺める。
私も特別天の川に興味を持っていた訳でもないのだが。
市が見た事がないと言うから。
小谷へ来て最初の夏に。
見せてやりたかったのだ。
「無事に……逢えたのかな……」
「ん?」
「牽牛と織女……年に一度だけしか逢えないもの……」
ああ、確か。
そう言えばそんな事を聞いた事があった。
やはり興味のなかった私は。
記憶に留めるほどに話を聞いていなかったのだが。
市が徐々に。
俯く。
「市も……長政さまに年に一度だけしか逢えなかったら……」
「そんな事を考えるな」
「長政さま……」
「お前はお前だ。 こうして私と夫婦でいるのだ。
年に一度だけなどある筈がなかろう」
市は振り返り、背後の私を見た。
涙を溜め。
「また泣くか」
「だって……嬉しいもの…………」
市は私の身体に凭れ掛かる。
私は。
僅かに市の腰を抱く腕に力を入れ。
市に気付かれぬ様、その髪に顔を寄せた。
微かに良い香りがする。
「……また来年も、一緒に見てくれる……?」
市がそっと顔を上げ。
上目遣いに私を見た。
「当然だろう」
「うん……来年も、そのまた来年も…………ずっと一緒に見たい……」
当たり前の事を言うな。
今後ずっとこの城で暮らすのだ。
寧ろ見ない方が難しいだろうに。
私は再び夜空を見上げる。
遥か遠くの空にも続く、その河。
陽に当たる姉川の川面の様に。
瞬くのを止めない、河。
それを。
市と共に。
時を忘れ。
何の音もしない、その空間で。
光り輝く銀の河を。
たった二人で。
暫く、見ていた。
来年も。
そのまた来年も。
こうして共に見られる事を。
願いながら――。
「銀の河の下で」 |
20080421 |